<第60回>藤田一照:伊藤比呂美対談〔禅の教室〕ー第7回ー

【序章 そもそも禅ってなんですか?】
※ 今回は「序章」の6回目です。

―― シッダールタの出家と初禅――

伊藤比呂美(以下、比呂美) 「禅」と「坐禅」は違う、ということが前にありましたよね。
(㊟ 禅と坐禅の違い・・・「坐禅」は「禅」に伝わっている最重要の行法のこと)
「禅」のイメージの最初は「花を掲げて以心伝心」だと。では「坐禅」の始まりはどうなんですか。
(㊟ 〔〔禅の教室〕ー第5回〕に出てきた、お釈迦さまが仏教の法脈をその弟子の摩訶迦葉に法門として付嘱したとする、そのときの伝説のこと=〔〔禅の教室〕ー第5回〕を参照)
藤田一照(以下、一照) シッダールタ(㊟ 釈尊の本名)が樹下で坐った、あれが最初の坐禅ということになっています。彼はお城(㊟ 釈尊が生まれ育った所)を出てから、まず先生についてヨーガ的な瞑想を習いました。それは心の動きを停止させることで、苦しみから逃れようとするメソッド(㊟ 方法、手法)ですね。シッダールタはどうやらそういうことに才能があったらしく、先生の言う通り心の働きを止めることができたんですよ。
比呂美 心の働きを止めるとは? それは、才能がないとできないこと?
一照 無念無想の恍惚状態に入ることなんですが、普通の人は、そんなことなかなかできない。そのことに才能のある人は早く上達するし、才能のない人はいつまでたってもできないという個人差がある。スポーツでもそうですよね。シッダールタは才能があった。だから先生に「お前には瞑想の才能があって、自分の教えることもすべてマスターできたから、俺と一緒にこの瞑想クラスを指導してくれ」みたいなことを言われたことになってます。
比呂美 そのときシッダールタが学んだヨーガ的な瞑想って、坐禅とどう違うんですか。
一照 それは、「心の動きが停止して何も思わず何も感じない境地」と書かれています。僕らがいわゆる「禅定(ぜんじょう)」とか「無念無想」「不動心」と聞いたときに思い浮かべるような心理状態です。
比呂美 そういう瞑想は、シッダールタの生まれる前からあったんですね。
一照 あったようですね。今のヨーガの源流のようなものでしょう。シッダールタはお城での恵まれた生活をしていた。しかし、老病死といった思い通りにならないことが人生にはあって、それを避けられないということに気づいていまった。自分はまだ若いけれど、必ず年をとって、病気になって死ぬ。生きるということにはそういう根本的なジレンマがあるということが強烈な形でわかってしまった。それを解決する方法はお城の中にはない。お城の人たちも、世間のみんなも、どう見てもそれを直視しないために、忘れるために、一生懸命に欲望追及にうつつを抜かしている。歌舞音曲やご馳走とか賭けと狩りとかあらゆる形の気晴らしをして、見たくない現実から逃れようとしている。自分はそんなことのために貴重な人生を無駄にしたくない。ここにはそれを解決する道は見つからないだろう、と思って家族を捨てて城を出た。それが出家の原型です。
比呂美 こっち側に有るのは世間だけれど、出家した先にあるものはなんですか。
一照 出世間(しゅっせけん)といわれるものです。世間とは基本的に「所有」がテーマなんですよ。自分で価値が高いと思うモノを自分の周りにどんどん集めようとする。
比呂美 モノが欲しい、という?
一照 そう、モノ足りない。欲望というのはモノ足りようという思いです。それを「所有の次元」と呼びますが、所有の次元で生きるとは「私とは、私が持っているもののことである」という人の価値の物差しでの生き方ですね。モノとはお金や、家、宝石といった物質的な物に限らず抽象的なものも指します。知識、社会的な地位、肩書き、プライド、能力、自信、称賛なんかです。もっと抽象的には「宗教的な体験」、悟りとか神秘体験みたいなもの。
比呂美 出世間は、そういう「体験」的なことからも離れると?
一照 そうです。お城での生活は「所有の生活」です。けれども、所有の価値観には全く合わない、いわば所有の次元の裂け目みたいなものがある。シッダールタはお城の門の外で目撃して大ショックを受けたのは、老いるとか病気するとか死ぬということなんです。誰しもが避けられない“死”のときは、それまで所有していたものを何ひとつ持っていくことができない。「最後は何も無し」、というのが最初から決まっているんでうす。より豊かに所有することを最高価値にして生きている限りは、最後は不幸のどん底で死ななくてはならない。「私とは、私が持っているものである」という考え方でずっと生きてきた人が、最後に何も持てなくなるのです。価値ゼロで死んでいかねければいけないわけでしょう。死が近づくにつれて苦しみは増すばかりです。
「老病死、これは存在の次元に関わるものだから、所有の次元の中で生きている限りは絶対に解決がつかない」と、シッダールタには見極めがついたんでしょうね。所有の次元で生きることに行き詰まりを感じ違う次元の生き方を探ろうと、未知の世界の探求の旅に出たわけです。さきほどの「世間から出家した先に何があるのか」という質問ですが、シッダールタが城を出た時には彼の前に未知の世界が開けたといえるでしょう。
けれども、その探求もいきなり我流でやるのではなく、最初はそれを指導している人について習った方がいいと思ったんでしょうね。大都会へ出て、当時たぶん名声をはせていたであろう、瞑想でこの世の苦しきを解決できると標榜していた人たちに弟子入りした。当時の代表的な宗教の行法は「瞑想」と「苦行」で、いまでもインドの二大行法です。ひとつは心から入る瞑想、ひとつは体から入る苦行。
まずは「瞑想」をやってみた。教えられた通り心をストップさせることもできるにはできた。でもよく考えると、これはメソッドによって人工的に止めているんだ、だからこれは一時的なもので、の努力を止めたらまた元に戻っています。以前のままの私が訓練によって心の働きを止められただけで、それを止めたら元の木阿弥でしょう。
これではダメだというので、もう一つの「苦行」を、これもまたとことんまでやってみた。『釈迦苦行像』という仏像がありますが、瀕死の状態になるまで追求した。
比呂美 苦行って、具体的にどんなことを?
一照 断食とか体を鞭打つ、炎天下で太陽を浴びる、トゲのあるいばらの中でごろごろ転がる、水を飲まない、息を止める、虫に刺されるのを我慢する……。とにかくあらゆる種類の苦痛を体に与えて、生命力を弱らせるというやり方。だから最終的には、死の直前まで行く。でも、死んだら駄目。元も子もないから、死ぬギリギリ手前で踏みとどまらなきゃ。でも失敗して向こう側へ行っちゃう人もいるでしょうね。シッダールタは、これじゃあ衰弱するだけで、何の解決にもなっていないとわかったので、死ぬ前に苦行を放棄しました。
こうして教わった瞑想と苦行をやったけど、どちらも自分の問題の解決に至らず、ここで壁にぶつかってしまった。そのときにふと思い出したのが、子どものときに農耕祭りというのがあって、父親が小さい国の代表として地面に鍬入れするみたいな儀式をやっていたときのこと。お父さんが土を起こしたら虫が出てきて、小さい鳥がそれを食べて、そうしたら中ぐらいの鳥がきて小さい鳥を食べて、それを大きな鷲が食べてというのを見た。そして「生き物はなぜ相食(あいは)み合わなければいけないのだろう」と憂鬱(ゆううつ)になった。それで祭りの喧騒を離れ静かなところに行って一人になりたいという内面からの欲求を覚え、それで、木陰に坐っていたら、よこしまな思いが自然になくなって、よい思いに満たされた心地よい状態になった、というのをこのとき思い出した。そして、これに希望を見出した。これが後に「初禅(しょぜん)」といって、最初のレベルの禅定とされる状態です。
この思い出を糧に、シッダールタは大きな樹の下で坐った。そこにいたるまでの面白いエピソードがいろいろ伝えられています。まずひとつは、スジャータという村娘から供養された乳がゆを飲んで弱った体力を回復したこと。やはり村人から供養された敷き藁(わら)を尻の下に敷いて坐りやすくして、心地よく坐ったこと。そして、直射日光を避け、涼しい木陰で坐ったこと。さらには、尼連禅河(にれんぜんが)という川で身を清めて、さっぱりしてから坐ったとも書いてあります。要するに、苦行者時代だったら考えられなかったようなことをあえてしたわけです。
ここでは、シッダールタが樹の下で座ったことの深い意味合いをよく考えないといけない。当時主流だった宗教的行法を排して、ラディカルで革新的なことを行った。まさに、仏教はここから始まっている。スジャータが、従来の行法に満足できず、新しい一歩を踏み出さなければならなかったという、このラディカルで革新的な点をよくよく考えることが、仏教を理解する鍵になると思うんです。

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