5月 23日 松原泰道著 『公案夜話』-第18回〔南嶽磨塼〕

 ――― 南嶽磨塼(なんがくません)—塼(かわら)を磨(みが)いて鏡にする ―――

 この語は、前回『盤山精肉(ばんざんせいにく)』のときに出てきたの宝積(ほうしゃく)禅師の師である馬祖道一禅師の、今度はその道一禅師の修行時代の話から出てきた禅語です。道一禅師の師匠は南嶽(なんがく)和尚です。松原泰道さんの訳をやや長いですがそのままお借りします。

 「道一という若くて修行熱心な禅僧がいました。毎日、夜昼(よるひる)となく坐禅に励んでいるのを見た、当時の高僧の南嶽(なんがく)和尚(六祖慧能の法を嗣ぐ。744年没)は、彼は並々ならぬ大器であることを見抜いて彼の力を試します。以下二人の問答です。
 『お前は、そこで黙々と坐禅をしているようだが、一体何のために坐禅をするのかな?』
 『はい、坐禅をして、仏さまになるためです!』
 それを聞いた南嶽は何を思ったか庭に降りると、そこに落ちていた塼(かわら=瓦)のかけらを拾ってきて、傍らの石を削石(といし)がわりにしてごしごしと磨きはじめた。
 『師は、何をなさろうとするのですか?』
 『鏡を作ろうと思ってな』
 『瓦をいくら磨いても鏡になるわけがありません』
 『そうか、瓦を磨いても鏡にはならんか、すると坐禅をしても、仏さまにはならんわけだな』
 道一は、頭をいきなりハンマーでなぐられたような大きなショックを受けました。坐禅は成仏のための修行であると信じていたのに、それは『不可能だ』と一言のもとに砕かれたのですから、ぼうぜんとするのは当たり前です。道一は打ちひしがれた心を漸く建て直して『坐禅をしても仏になれないとしたら、一体私はどうしたらいいのでしょうか?』と、泣かんばかりに南獄に教えを請います。
 南獄は、今度はやさしいたとえを引いて『お前が牛のひく車に乗って出かけたとしよう。ところが、急に牛車が止まったとする。そのとき、お前は車を叩くか、牛を叩くか、どちらだ』と問います。道一は黙したままです。南獄は言葉を続けて、
『お前は、坐禅を学ぼうとするのか、それとも作仏(仏になろう)を学ぼうとするのか。もし坐禅を学ぼうとするなら、坐禅は坐ってするだけが坐禅ではない。もし作仏を学ぼうとするなら、仏さまに決まった相(すがた)などありはしない。形や相にとらわれるなら、それは真実の坐禅でもなければ、作仏の道でもない……』と、噛(か)んで含めるように説き与えます。」
 ここの「牛車」の例えは、現代の自動車でいうなら、「牛やエンジンの力で車体が運行するのです。牛やエンジンが人間の心に相当し、車体(ボディ)はそのまま人間の身体(ボディ)です」。「南獄は、心を調えるのが大事だと精神主義でいっているのではありません。心と体とは二分できるものではありません」。
 「南嶽が示した〝磨塼(ません=瓦を磨く)〟という、一見くだらないように見える愚行に、実は無所得(むしょとく)の修行を、南嶽は道一に示しているのです。無所得は、何も得るところが無いことですが、禅思想ではそれを展開して『自分のするすべての行為から何かを取得しようという心のないこと』を無所得というのです」。
 「〝情けは人の為ならず〟という古いことわざがあります。他(ひと)によくしておけば、自分もまた良い結果が得られる」との人へのさとしですが、「私たちはとかく、口とは反対に心中にひそかに報酬を期待しますから、その期待に反した場合、もしも他を責めるならせっかくの善行も無意味になってしまいます。その過ちのないように、心の基盤に止めておきたいのが無所得の理念です。無所得の理念を持つなら、自分のした行為に何らかの報いがあってもそれを誇らず、報酬が無くても別に不満に思わない、結果のいかんにとらわれないおおらかな心で対処できるわけです」。
 松原泰道さんはここで、早稲田大学の創立者大隈重信(おおくましげのぶ)の講演での言葉を引用されます。「学問の独立とは、権勢の圧迫に屈服しないというだけではない。ただ学問のために学問をすることだ。成功や栄達を目ざしてする学問は、学の独立とはきわめて縁の遠いものである」。「坐禅も修行も同じです。さとりを開こうとか成仏(作仏)しようとかの目的のためでなく、坐禅のための坐禅、修行のための修行という目的と方法とが一つになってこそ真実の坐禅、真実の修行です。坐禅も無所得の実践であれ、と南嶽は瓦を磨いて示すのです」。「坐禅と作仏とは別物ではない。坐禅の姿そのままが仏の相(すがた)であり、仏の相そのままが坐禅の姿である」と南嶽が馬祖に示しているのです。
 最後に松原泰道さんは、このような言葉で締めくくられておられます。
 「人間としてすべきことなら、結果的にはむだであるとわかっていても、むだと割り切らずに、愛と誠実をもってなし続けることである」。
 

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