5月 30日 松原泰道著 『公案夜話』-第19回〔南嶽磨塼〕

 ――― 徳山焼経(とくざんしょうきょう)― 学問的知識の限界 ―――

 この公案「徳山焼経」のテーマは、その副題の「学問的知識の限界」によく言い表されています。
 中国・唐代の禅者として有名な徳山宣鑑(とくざんせんかん)は、その若い頃は『金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)』の中国での研究者としてつとに有名でした。
 『金剛般若経』は、禅宗よりもだいぶ前に中国へ伝来した大乗仏教の中でも最も古い経典であり、大変重要視された経典でしたが、その研究者としての徳山は、当時、インドから達磨大師によって伝来し広がりを見せていた新興の禅宗に対し反発を持っていました。そこで、彼は自らの『金剛般若経』の知識をもって禅宗を打ち負かしてやろうと、自分の資料を携えて、当時禅宗が盛んになっていた地方へ向かって勇躍旅立ちます。
 その途中、とある茶屋で昼食の天心(軽い食事)をとろうと立ち寄り、茶屋の婆さんに天心の注文を出します。婆さんは、徳山の背負っている大きな荷物を見てその中身を問います。徳山は自分の研究の成果だと得意げに吹聴します。そこで、その婆さんは「『金剛般若経』の中に〝過去心不可得、現在心不可得 未来心不可得(過去・現在・未来の心はみなとらえようがない、認識のしようがない)〟とあるが、今あなたは点心といわれたが、過去・現在・未来の一体どの心に点じたいのですか?」と問います。根が真面目な徳山は、答えに窮し言葉が出ませんでした。そして徳山は、一介の茶屋の婆さんがこのような問いを発するには、恐らくこの近辺で、一般の住民をここまで教化する凄いご仁がいるに違いないと察し、そのことをこの婆さんに問います。婆さんは、この近くの龍潭(りゅうたん)という所に、彼らが「龍潭さま」と呼ぶ、崇信(そうしん)禅師という偉い坊さんがいる、と教えてくれました。
 早速、徳山は龍潭を尋ねました。そして、その違わぬ人物であることに感じ入り、夜が深まるのを忘れて話し込みます。やがて龍潭は「夜更(よふ)けぬ、子(なんじ)何ぞ下(くだ)り去らざる」と退出を促します。徳山はその庵を出ますが、戸外は真っ暗闇で途方に暮れ「真っ暗でございます」と庵に戻ってきます。龍潭は親切に、手持ちの紙燭(しそく=紙のこよりを芯にし、油にひたして火をともす照明具)に火をともし手渡そうとします。そして、その手渡す瞬間、龍潭はその灯をなぜかフッと吹き消します。その途端に、徳山はハタと気が付きました。これがこの公案の眼目となるところです。
 その翌日、徳山ははるばる重い思いをして担ってきた『金剛般若経』とその研究の綴りを、「いかに学問の奥義を究め、玄妙(趣が深くすぐれていること)な哲学の真理を知り尽くしても、体験的に掘り下げて得た真実の深さに比べれば、学問的知識などは比べものにならない」として、すべて焼き捨てます。
 真っ暗闇の中の道行きには灯かりは欠かせません。しかし、心の中の暗中模索は、ただ外部から照らされる〝光り〟をただひたすら頼りにしていたのでは、自分自身で、その行く手を模索し体得したことにはなりません。

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