座禅と座禅会のよくある質問

掛け軸座禅についての一般的なよくある質問および市川静坐会に参加してみたいと思った皆さんからよくいただく質問をまとめてあります。
その他のご質問がある方、座禅会に参加ご希望の方はこちらからご連絡ください。

市川静坐会について:座禅会の内容はどのようなものですか?

私たち市川静坐会では、30分の座禅を2回座っています。
またそれ以外にも「輪読会」を行っています。今は「禅語」に関する本を中心に、1回毎に完結する分量のもののプリントしたものを皆さんと輪読しています。

採り上げる本は私たち主催者側が選んでいますが、もし皆さんから「このような本を読んでみたい」といったリクエストがあれば歓迎します。
いままでにどんな本を読んだかは、こちらのページに掲載しています。

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市川静坐会について:座禅の経験は全くありませんが、参加できますか?

初めての方には「座り方」をお教えいたします。決して難しいものではありません。

むしろ、私たち市川静坐会は「座禅に興味はあるけれど気軽に座れる場所がない」、或いは「そのような場所を知らない」という方々に〔座って頂き〕、座禅の良さを少しでも味わって頂きたいとの趣旨で開いております。

私たちの座禅会は正式な座禅(私たちは臨済系に基づいていますが、曹洞系でも座り方自体は変わりません)の方法に則っていますが、「禅寺に行き難い」「或いは近くにない」とか「改まって禅寺に行くのには抵抗がある」という方々にむしろ向いています。

けれども、皆さんと一緒にかつ静かに座って頂くためには、作法はしっかり守って頂きます。

蛇足になりますが、座禅会を主宰する私たちは正式な禅僧ではありません。皆さんと同じ一般の社会人ですが、こうした「一般人(学生さんを含め)も座禅の修業をしたい」という思いから始められています。ですので、座禅をするときだけは正規の修業僧と同じスタイル・精神で座っています。出家して、お寺にこもり修行する修行僧(雲水)に対し、私たちのように一般社会の中にあって普通の生活をしながら修行することを「在家禅(者)」あるいは「居士(こじ)禅(者)」と呼ばれます。

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市川静坐会について:服装、持参する必要があるものはありますか?

写真などでご覧になったことがあると思いますが、座禅は独特の足の組み方で座ります。
そのために、足にピッタリになるような、例えばジーパンのような服装は、足を組むときに窮屈です。

女性は、スラックスでなくてもプリーツスカートのようなやや余裕のあるスカートで坐られても構いません。又、女性向けに〔スカートでも座れる座り方〕も考えられています。ただ、ミニスカートは不向きです。

〔坐禅をするために特に用意するもの〕は一切ありません。むしろ、禅の精神から言えば〔何ものも持たない〕(精神的にも、物質的にも)ことが一番望ましいのです。ですので「身体一つあれば座禅ができる」ということです。

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市川静坐会について:参加費等は必要ですか?

1回当たりの参加費は〔300円〕です。
会を維持する費用として、会場費、多少のご用意する資料の費用、座布団の運送費等に充てています。

〔1回当たり〕のほか〔月会費〕、〔年会費〕としてまとめて払う方法もあり、僅かではありますが割引をしています。

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市川静坐会について:膝が痛いので、坐る事が難しいのですが。

市川静坐会では、椅子で座れるように「座禅に向いた椅子」を用意しています。正式ではありませんが「椅子に腰かけて座る」こともできます(これを「椅子座禅」という人もいます)。

座禅は、決して苦痛を強いるものではありません。それよりも座禅をするスタンス、心構えを大事にします。ですが、静座中に「姿勢を崩す」、「落ち着かない態度をとる」等は〔座禅をする〕ことからは逸脱しますのでそれに対しては厳しく指摘されます。

また、「座禅をすること」は、じっと動かないようでいて結構体力を使います。ですので、体調の悪い時(風邪などの患っているとき)や、食後直ぐには座ることはあまりお勧めできません。

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座禅一般について: 座禅とはどんなものなのでしょうか?

この大きな問題をほんの数行で語り尽くすことは大変難しいことです。ですので、皆さんが画像とうでよく目にされてご存知のもので、ごく表面的な説明をお許しいただければ、
〇 鎌倉の大仏の坐っているお姿は、あれは〔座禅をやっている姿〕なのです。またそのほかでも、大きなお寺にある仏像や歴史的に有名な名僧の、いわゆる〔座像〕はそのほとんどが座禅をやっている姿になっています。
〇 皆さんが良く「座禅の写真」などで見かける、〔足を組んで、手を前の方で組み、背を伸ばして座っている姿〕が座禅そのものであり、それ以外には何もありません。
〇 それではその座禅をやって「何をしているのか?」。これから先は、実際に近くの座禅をやっているお寺や、私共のような〔静座会〕等で、どうぞ指導を受けながら座ってみるのが一番です。

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座禅一般について: 座禅をすると何が得られるのですか?

これに付きましても、この狭い説明欄ではおよそ説明はし切れません。
○〔禅〕の本筋から言えば「何も得られない」となってしまいます。しかし、これでは実もフタもありませんね。まさに「禅問答」になってしまいます。けれどもこれには深い意味があるのです。ここで言おうとしていることは「何かを得られると思って座っても駄目だよ」。何か目的を以って「座ろう」という、そもそもそのような最初の心構えが座禅の取り組みとしては間違っている、ということなのです。
○本格の〔坐禅の取り組み〕としては、「『何かを得られる』などの〔計らい〕を先ず全て手放しなさい」ということになります。
○〔坐禅から得られる効用〕というものに付いては、よくマスメディア等でいろいろ取り挙げられますが、でもそれらのほとんどが「坐禅をやってみてその過程で後から付随的についてくるもの」なのです。

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座禅一般について: 今、心にストレスや悩みを抱えていますが、座禅をやるとそれらから解放されますか?

これにきましても前項の「座禅をすると何が得られるのですか?」と共通する部分があります。「悩みを抱えているから座ってみよう」としても、おそらく「その悩みからの直接的に解放」をされることはないでしょう。やや冷淡な申し上げようで恐縮ですが、事実はそうなのです。座禅は〔心療内科的な治療の方法〕ではありません。ですが、「やってみれば(座ってみれば)」結果的に「ストレスへの耐性も身に付いてくるし」あるいは「次第にものに動じなくなってくる」、これも間違えのない真実です。ただそれには、できるだけ長く「座る(これを我々は〔修行をする〕といいます)」ことを続けてみないとなかなか身に付きません。

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座禅一般について: それではいったい何のために座禅をするのでしょうか?

この難しい問題をややかいつまんでお話しさせて頂ければ、これはまた先に挙げた「座禅から何が得られるのですか?」と関連していますが、座禅をして〔何が得られる〕とか〔悩みから解放される〕とかいうそもそもの心の持ち方を問い直します。これらのことを外から(あるいはほかの何かから)得ようとしなくても〔本来あなた自身の中に備わっているもの〕、また〔悩みや苦しみは本来あなた自身にはなかった〕はずのものです。それではなぜそのようなものがあるのか、あなたがこれまでの人生を生きてこられて、その過程で身に付けられたいろいろなものから得た知識、これまで経験してこられた実体験、今あなたの周りに満ち溢れている情報など、あなたはそれはそれはたくさんのものを身にまとっています。そして、何かの出来事に出会い、あるいは何か事をするに当たって、あなたは、その身に「まとっているもの」に照らし合わせてそのつど判断し、考え、行動しています。それが〔知識で得たものと現実との違い〕とか、〔目の前に突如起こっている事柄に遭遇したあなたの戸惑い〕とか、〔これまで得た知識や経験が限られているがゆえに起こる判断の誤算〕、〔他者と引き比べての自分が遭遇していることとの差〕だとか、そういったことでとかく悩み、苦しんだりしているのではないでしょうか。
「そろばん」をやられている方はよくご存知ですが、そろばんでは「ご破算」という言葉を使いますが、これはそろばんで次の計算をするときには、パソコンでいえば先に〔入力〕した数字(そろばんでは珠ですが)を全て「はらって」ゼロ戻しにすることですが、座禅をやっているときにもそれとよく似たことをしていまして「一旦、全てをゼロ戻しにする」ことをしています。
座禅では、今あなたが身にまとっている〔知識、経験、情報〕等々のバリアー、あるいはあなたを覆っている霧(カオスの霧とでも言えますか)を振り払う(突き抜ける)ことを促します。そして、その上に広がる澄み切った青い空、さらにはその先にある広大な宇宙、それらは全てあなたのものなのです。それなのに、地上のほんの一点で「自分が、自分が」と囚われていることがどんなにかちっぽけなことか、そのことにやがてお気付きになるでしょう。

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