5月 2日 松原泰道著 『公案夜話』-第15回〔日日是好日〕

 ――― 日日是好日(にちにちこれこうじつ)—今日このときをどう生きるか ―――

 この禅語は大変有名です。坐禅をたしなんでいない方でも一度くらいは目にされておられるのではないでしょう。また、実際に言葉のニュアンスが大変優しく、イメージも良いものですからよく揮毫され、床の間の掛け軸や色紙に書かれたりもしています。私事ですが、筆者も当初この言葉を目にしたとき、どこか田舎の農家の縁側で、その家のお婆さんが日向ぼっこをしながら膝に猫でも抱いてウツラウツラとしている光景を想像したりしていました。
 ところが、江戸時代中期の臨済宗・中興の祖といわれる白隠禅師はこの公案について、「容易の感を持ってはならぬ。難透(なんとう=筆者注:特に臨済禅では、師家から与えられた公案に対しちゃんと答えられたことを「透過する」といいますが、そこから「透過することが難しい」という意味です)難解(なんかい=解説しにくい)である」と申されているそうです。
 確かに「日々の一日一日を〝好日〟としてすごしていく」ということは、私たちの日常に照らして大変難しいことではあります。松原泰道さんは、作家の吉川英治さんの「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す、楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」という言葉を紹介されています。またもう一つ、京都のある大店の社長さんの言葉を紹介しておられます。「私は、商売というものは、いいときも悪いときもあるのが当たり前と思っています。むしろ、いいときなどというものは、そうめぐり合うものではない。悪いときをどう生きるか、悪いときにどう誠実を尽くせるか、ということが大切だと思っています」と、そして「私は、損をしたときには、きれいに損をすることが、損から救われる道であると思っています」といわれたそうです。
 私たちの日常は毎日、本当にいろいろな事があります。単に「いい日もあれば悪い日もある」という大雑把な括り方ではなく、どのような苦境の時であろうと、どうその日を過ごすか、どのような時でもその〝今〟というその時とどのように向き合い、どう対処してていくか、その向き合い方でその人の日々、ひいてはその人の人生そのものが変わってくるのかも知れません。

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