【第3章 坐禅の効用って?】
※ 今回は「第3章」の4回目です。
―― 調身・調息・調心が坐禅の極意 ――
伊藤比呂美(以下、比呂美) さきほど一照さんは「仏教をする(又は、坐禅をする)」ということは、自分を調えることだとおっしゃいましたが、そこのところをもう少し教えてください。
藤田一照(以下、一照) 僕が仏教に入ったきっかけは、禅の接心会(「摂心会」とも書く。ほぼ1週間<場所によって期間は異なる>、泊まり込みで集中的に坐禅の修行をする)という行(ぎょう)に参加してみろ、といわれ、何の予備知識も期待もなく接心に参加して、現在に至っています。最初から、予備知識もなく摂心に参加するのはきつかった。
シッダールタ(=お釈迦さまの本名。「目的を達成した者」という意味)が示されたメッセージは、ほんとうに多岐にわたっている。それは、僕が思うには、シッダールタがいろいろな人からの訴えを聞いて、それらに対し、その場で沸き上がった言葉を即興的に語ったのではないか。その断片的な言葉たちが記憶され、後に書きとめられて、語録のような短い断片記録として集められた。それが経典の素材となり、それが次第に体系化され、教義が出来上がり、さらに哲学的考察みたいなものが加わって膨大な仏典群になった。あまりにも枝や葉が茂り過ぎて、根っこのところが何なのかわからなくなってきているから、一番おおもとは何だったのかを、もう一度見直した方がいい。
仏教の教義としては「縁起」というものがあるけれど、では実践面では何かというと、僕は、「整える」ということじゃないかと思う。シッダールも「自己がよく調えられたとき、人は得がたいよりどころを得る」というようなことを言っている。
比呂美 うーん、「調える」ってよくわからない。
一照 ここがポイントです。ここで言う自己とは、普段僕たちが「自分、自分」と言っているあの「自分」じゃなく「調えられた自己」だとわざわざ言っている。それから1500年ぐらい経って、日本の道元さんも、中国での修業から帰ってきて「心身を調えてもって仏道に入るなり」と書いている。心身とは何かというと、自己のことですよね。自分を調えて仏教に入るんだと。あるいは自分を調えるのが仏道に入ることだというふうに言ってもいい。
比呂美 自分を律するというのとは違うのですか?
一照 ちょっとニュアンスが違うように思う。「調える」に関しては、英語の単語ではよく「調整する(レギュレート)」とか「制御する(コントロール)」という意味の単語が使われるが、私は、むしろ「統合する(インテグレート)」とか「調和する(ハーモナイズ)」と言う単語の方がいいようの思う。
比呂美 なるほど。「調整」や「制御」じゃ、動かしている側の意志が強すぎる感じ。「統合」されて「調和」した方がいいですね。
一照 禅では三つの「調える」があるんです。調身(=ちょうしん)・調息(=ちょうそく)・調心(=ちょうしん)で、身を調え、息を調え、心を調えることです。
比呂美 「息」で、それだけで一項目立ててしまうのがすごい。
一照 body(=からだ)とmind(=こころ)の橋渡しをしているのが息だからね。この三点セットは仏教の始まりからずっと一貫していると思うんです。
自己を調えてみると、すべてがつながっているということが自ずと見えてこざるを得ない。調った自己には、仏教の教義である「縁起の法」がはっきりとした形で現れてくる。
シッダールタが菩提樹の下に坐ったのも、それ以前に一生懸命にやってみた心を止めよう(瞑想法)とか、体を痛めつけよう(難行苦行)とか、そういうこっち側がプラン(人間の側が意図的に計画した)したプロジェクトを遂行するためじゃなくて、自己が自発的に調っていくような条件を探求するためだったというのが僕の解釈です。でも繰り返し言っているように、「オレ」が自分を調えようとするとダメなんです。意図的なコントロールが主導するような調え方では「調えられた自己」が実現しない。
人間はもともと、体と、息と、心に、自発的に調ってもらうような調え方をわきまえている。この「調え方」を言語で表現するのが難しいんですが、主語がいつもの「わたし」じゃなくなるので、心身の自然に内在している自己調整能力が発揮されるのを邪魔しないようにもっていく。
比呂美 それに任せる、みたいなことですね。オイゲル・ヘルゲル(=ドイツの哲学者)の『日本の弓術』に、「弓を引く時は当てようとするな」という話がありますよね。あれと同じような感じ?
一照 まさしくそうです。けれど僕が思うには、弓を当てようとしなかったら、本当に当たらないでしょう。だからそこがちょっとニュアンスが違うのではないか。ここが説明の難しいところ。無心であることをどうやって稽古するのか、あるいは自然体をどうやって稽古するのかということですね。「オレ」のエゴが頑張っているだけじゃ無理なので、自分を手放していかないといけない。そうすると、そこに「他」というのが出てくる。他力の他です。