本日から、玄侑宗久さんの本『禅語遊心』をとり上げます。
〇 はじめに――「のっぺり」を味わう
禅の言葉「禅語」について、また、それが書かれている掛け軸について述べて、さらには、禅そのものにも言及していおられます。
即ち、「禅は世間の常識というものにかなり懐疑的である」というところから、この世に生きていくには常識というものは必要だが、その常識というものは往々にして我々の精神を不自由にしている、ということです。禅語を味わい、心に留めていくうちに、いつしか精神の自由を得て、いささか非常識になっているかもしれません。
〇 無功徳
禅の世界では非常に有名な言葉で、禅の開祖といわれる達磨大師がインドから禅宗を広めようと中国へ渡り、それを伝え聞いた時の中国の梁(りょう)の皇帝の武帝が、達磨大師と面会をした時のことで、武帝は中国では先に伝わりひろまっていた仏教をことのほか擁護し布教の手助けをしていました。
そこで武帝は達磨に対し「私にはどれほどの功徳が得られようか?」と聞いたところ、達磨はただ一言にべもなく「無功徳!」と喝破したといわれます。
すなわち、功徳を当てにして仏教に帰依しても何も得られない、そのようなものはを当てにしてはならない、ということを言ったのです。
<玄侑宗久さん>
1956年、福島県三春町生まれ。慶応義塾大学卒業後、天竜寺専門道場に入 門。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。2001年「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。小説以外にも禅に関する著書を多数執筆。