―― 今日是好日(きょうこれこうじつ) ――
「日々是好日」は、座禅をやっていない人でも目にした方が多いのではないでしょうか。大変有名な禅語で、この語感から「毎日がそれぞれに『好き日々』ではないか」といった、ほのぼのとした願望のようなものをこれを目にした人と共有するかのようです。
本稿のものは「今日」となっていますが、「毎日毎日を『ひび』と括らず『にちにち』と独立してみる。私とあなたが比較できないように、昨日と今日も比べようがない。雨でも嵐でも、今日こそかけがえのない日と見るわけだから、標題の言葉のほうが端的だろう」と玄侑宗久さんはおっしゃいます。
禅語の中には、この語によく関連した語が多くありますが、「『把住(はじゅう)』と『放下(ほうげ)』というのもそうだ。把住つまりひっつかむべきなのは今のみ。それ以外はきれいさっぱり手放してしまう。昨日や明日を『前後裁断』し、放下(手放す)するから今日是好日になるの」ですから、「『今』(今日)以外(即ち、昨日あるいは明日)は『ありのまま』じゃない。みな頭の操作を通したものだから、寂滅(捨象)させてしまう。すると今だけが現前する仕組み」となります。
ところが、そんなことをすると「先と今に連続性がなくなるのではないかと心配」という方もおられようが、しかしご心配ご無用、「我々の脳は、無数の一瞬をすぐに『物語』でつないでしまう。これを妄想という」のであり、そもそも「時間という連続性そのものが、絶えず脳によって捏造(ねつぞう)されている」ものだからです。そして「心がけとしては、だから常に放下を目指すくらいで丁度いい。放っておいても脳は、すぐに把住したがる」のですから。だから、修行して(座禅して)放下を繰り返すのです。
「昨日の嫌なことを引きずらなくとも、今日は新たに嫌なことが起こる可能性だってむろんある」のですが、同じく禅の言葉で「知足」という言葉があります。「知足とは、現状を完全に肯定すること」です。このように“今を肯定する”こと、その日々を、毎日一日づつ積み重ねていくことではないでしょうか。