1月 15日 松原泰道著 『公案夜話』-第1回〔はじめに〕

 今回から、禅宗や仏教に関する多くの書物を著作し、その語り口の柔らかさや分かり易さで多くの読者がいる「松原泰道さん」の本を採り上げました。
 本の題名は『公案夜話』です。この「公案」については、泰道さんが本書の序文(はじめに)でやはり分かり易く説明されておられますので、「はじめに」の要約で泰道さんのお言葉にお願いすることにします。

―― はじめに ――

 「禅門の代表的な修行の一つに『禅問答』があります。修行者が疑問を師家に問うて教えを受けるのです」。「師家」とは、「禅の修行者の指導者ですが、たんなる指導者ではありません。禅のさとりを開いたという印可(いんか)を受け、人格識見ともに優れて世間の模範となる高僧です」。
 「修行者もかなりの力量を具えて問いを発するのですから、いわゆる質疑応答の内容はきわめて次元の高いのです。したがって禅については何も知らない人が、その問答を聞いていても、とても理解できません」ので、そこで、その対話の内容が皆目わからないという意味での「禅問答」という言葉が生まれてくるのです。
 「公案」という言葉については、「昔の中国の役所で使われた法制用語で、役所の法令などの公式文や裁判所の判決書などのことで『公府(役所)の案瀆(あんどく=書類)』といわれます」。そして「現世で誰もがそれに従わなければならない権威があります」ということから、「このことから転じて、禅とくに臨済禅でさとりの手引き」として、そこで修業する者たちに「与える問題を公案というようになりました」。
 「禅思想には、道元によって表象される曹洞禅と、臨済(中国の禅の高僧)や白隠に代表される臨済禅の(主なもので)二系統があります。曹洞禅では只(祗)管打坐(しかんたざ)といって、坐禅に何か目的を求めることなく、ただ坐禅するのです。したがって公案のニュアンスも臨済禅と異なります。道元は『現成公案(げんじょうこうあん)』(現成はありのままに現れている)」を提唱します。「目の前のあらゆる事柄や現象すべてそのままが、仏法の真理(法)のありのままのすがたであるとします。よって只管打坐」、すなわち「黙々と坐禅する中に絶対の心のはたらきがあるとする黙照禅(もくしょうぜん=黙の中に知恵〈照〉がある)が曹洞禅の特色です」。
 一方臨済禅は、「看話禅(かんわぜん)です。話(わ)は公案で、公案で修業してさとりをひらく方法によるのでこの名があります。一則(いっそく=一つの公案)が解けたら次第に次の公案へ進んで最後にさとりを開く方法です。公案禅は、中国宋代の大慧宗杲(だいえしゅうこう=1164年没)に始まり、わが国の白隠(1768年没)によって公案が体系化されました。」
 「公案は、その多くは祖師の語録の中の言葉とか行為、経典の語句、さらに本書に引用するように、誰もが知っている著名な文学作品の内容などでできています。深い思索と豊かな実践の経歴とが基盤になって、公案が創られたのです。」
 「公案の持つ使命は、まず私たちが身につけている相対・二元的な認識を超えて、より高い立場で統一した認識により、相対的な概念知識を取り除くことです。そして私たちが生まれながらに具えている純粋な人間性(仏心)を気づかしめる点にあります。」
 「そして、その新しい眼で、現行の相対的発想を批判することができたら、それだけでも人間関係をはじめ、さまざまのトラブルに、あるいは解決のめどが立つかもしれません。
 私の『公案夜話』執筆の願いは、この人生論発想の開発にあることを告白いたします。」
 次回からいよいよ、松原泰道さんの採り上げる「公案」を一つづつ、泰道さんの解説によって掘り下げて、座禅の神髄に触れてみたいと思います。

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