――― 隻手の音声 ―――
「せきしゅのおんじょう」といいまして、非常に有名な公案の一つです。宗派によって異なりますが、修行者として始めて〔参禅〕を経験されるに方に与えられることが多い公案です。
「片手の音を聞いてこい」というのです。両手ならば、相打ち鳴らせば音は出ます(「拍手」です)。それを「片手だけの音を聞け」というのですから、初めて耳にする人は「何のことやら」で、まさに〔禅問答〕の典型です。これは江戸時代中期の高僧・白隠禅師が禅の初心の修行者に与えていた公案です。
これを松原泰道さんはこのように説明しています。
「白隠(禅師)が禅の教えを求める初心者に厳しく求めたのは、人間の常識ともなっている相対的なものの考え方を洗脳することでした。相対的な発想というのは、たとえば白と黒、有と無、迷いとさとりといったように、ものごとや現象を対立的に区別して価値を決める考え方です。こうした相対的な認識は、対象になるものを、とかく自分の立場や好みを基にして差別し、差別は偏向を生んで中正を失し、正しい判断ができなくなる、つまり迷いを生ずるからです」。
「たとえば、私が花を見るとします。白菊と黄菊とが咲いていたら、私はきっと、どちらかを選り好みしるでしょう。それも相対的です。こうした相対的認識を洗脳するとはどういうことかというと、『今、花を見る自分と、見られる花とが、自分か花かのどちらかに同化してひとつになってしまう』ことです。それはナンセンスか矛盾のように思えますが決してそうではありません。絵を描いたり花を活ける人なら、すぐにその事情がわかるでしょう」。
既に座禅の修行をされて参禅のご経験のある方は別にして、初めて目にする方々は〔さてこの公案の“答え”はどんなものなのか〕ということは、パソコンの前でこの文章を読んだだけでは浮かんでは来ないでしょう。上に挙げた松原泰道さんの文章とさらにはこれに続く説明等を参考に、〔座禅をしながら〕この「隻手の音声」に取り組んでみてはいかがでしょうか。その〔解〕が得られたならば、必ずやものの見かた、社会に対する考え方が変わってくると思います。
本書の中で松原泰道さんは、当然ながらこの「解」に付いては触れておりません。これは禅界では厳に禁じられていることです。それは、公案の答えを「他人が教えては何にもならない」という単純なことではなく、上にも書きました通り、修行者が公案と苦闘する過程で得られる「人間的は成長」の機会と芽を奪ってしまうからです。 さあ一つ、「公案」と向き合って苦悶してみませんか。