<第79回輪読会報告>藤田一照:伊藤比呂美対談〔禅の教室〕ー第26回ー

【第3章 坐禅の効用って?】
※ 今回は「第3章」の6回目です。

―― 坐禅がはらむ危険性とは? ――

伊藤比呂美(以下、比呂美) 坐禅が危ないというのは、どういうことですか?
藤田一照(以下、一照) 何であれ修行というのは、一歩間違えたらオウム真理教みたいになる危険をどこかにはらんでいます。ある特殊な体験を得るためだったら手段を選ばず何でもする、みたいなことになりかねない。薬物を使うなり、眠らせないとか極端な呼吸法をやったりとか、無理矢理に変性意識状態(別名「トランス状態」とも。日常的な意識の状態以外の意識状態のこと。例えば、お酒に酔ったときのように意識が朦朧としている状態から、金縛り、さらには幻聴幻覚などなど)を出現させ、それが悟りだというふうに誇大妄想してしまう。
比呂美 変性意識状態とは?
一照 たとえば神や仏をまざまざと見るとか、自と他の境界がなくなるといったような特殊な意識の状態。薬物を使うだとか、アメリカでも一時流行ったけれど、そういう体験と悟りを単純に同一視して有頂天になる。
 危ないのは、坐禅とか瞑想で神秘体験とか、悟り体験とか、一如体験とかを目指してムチャクチャをやる人が出てくる。でもそれは坐禅や瞑想の対極にある自我の暴走行為で、そういう体験を引っ提げてカリスマティックな人物が出てきて人を集めるようになると非常に危ない。
 僕もある臨済宗の人から聞かされたことがあります。ある修行僧が何年も公案に取り組んで、師匠に自分の見解を示すんだけどどうしても通してくれない。「この接心でこの公案が通らなかったら俺には望みはない。必ず通ってみせるぞ」と誓って猛烈に坐る。とうとう摂心の終わりまで通過できず、かれは絶望して寺の裏にある崖から身を投げたという話。その話をしてくれた人から、「禅修行にはこのくらいの覚悟がなきゃ駄目だ。この修行僧はわれわれの鑑(かがみ)だ。お前もみならえ」なんて言われました。当時の僕は、いくらなんでもそりゃないだろうと内心思いつつ反論できなかったけど。
 これ自体は一つのれっきした修行の型なんですが、なかには限界を超えて、気が狂う人も、自殺する人もいるでしょうね。自分を全否定されたとして。下手をすると人格が崩壊しかねない。ぼくは「圧力鍋型」と呼んでいますが、圧力をグーッとかけてブレークスルーに導くやり方。きちんとやったらすごい人が出来上がると思うけど、副作用もあるはずです。
 比呂美さんなんかには、全くナンセンスにしか見えないでしょうけど、でもこういうスタイルがずっと伝わってきているんです。そこに真実がまったくないとは言えないが、下手をしたら内輪のサークルの自虐的な自己満足で終わるということも。仏教の修行って、両刃の剣。危ない面もかなりあるのは間違いないです。だって、普通の人間の常識の外に出ようとしていることだから、不注意にやったら危険なこともあります。

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