【第3章 坐禅の効用って?】
―――― 坐禅がはらむ危険性とは? ―――― から想をえて
禅に関わりのある方がこのような表題のテーマを掲げると、非常にセンセーショナルな響きを見るものに与えます。私もその一人です。と言うのも、前章の「坐る前に正しいビジョンを持つべし」の中で、藤田一照さんが、「坐禅をする」に当たって坐禅の根幹に至る部分に立ち入って、煎じ詰めれば「皮相な禅理解で坐禅をするなよ」というようなことを申された、と思っておりましたから、今回のこの「坐禅がはらむ危険性」に言及されるに当たって、まかり間違った禅理解によって修行をすることで惹起される、禅そのものが具有する‟危ない部分”を指摘されるもの、とばかり思ったからです。
ところが、一照さんが本章で申されておられることは、まず取り上げたのがオウム真理教のような宗教にみられる「変性意識状態」(=トランス状態)と、禅の見性体験との混同の危険性、でありました。筆者がこれを書いている平成30年8月時点で、オウム真理教の引き起こした一連の事件で死刑判決を受けた首謀者全員の刑の執行がなされ、記憶の、そして歴史の彼方に追いやった積りでいた「オウム事件」と、彼らの起こした事件の異様さとその罪深さを反芻させられていた時でもありました。これがために「教団」と名がついた宗教団体がどれほど肩身の狭い思いを強いられたか。
凡そ世において宗教と名がついたものには「体験」というものが付いて回るように思うのですが。それと、禅の出自である仏教の、その誕生の地であるインドに伝わる修行方法とそれに伴う用語が、オウム真理教の中での修行(果たしてそのよう名に値するものかどうか)と同じくそこでの用語の多用が、内容に関してあまり理解が至っていない一般の人には混然と見えるのかも知れません。しかし、実際にはこれは似て非なるもの以外の何物でもないのですが。そして、この一照さんの例示は決して「禅の根源」に立ち入った、その中にある‟危ない” 部分の指摘には至っていないと思います。
そしてです、この「オウム真理教」と並列して述べられているのが臨済禅の修行についてです。たしかに、臨済禅独特の公案への取り組み(公案=臨済禅の修行者がその師から課せられる、その修行者の現段階における取り組むべき課題)は、臨済禅修行者にとってトラウマともなるもので、事実、その透過(与えられた公案への自分なりの解答<これを見解という>内容を師から認められること)がなかなか叶わずに止めていく人もおります。だからといって、それを苦に自殺したり、精神を病んだりする者が続出するか、と言ったようなことについて、少なくとも私の属している居士禅の団体ではそのような事例に出くわしたことはありませんし、過去にあった、というようなことも聞いたことがありません。それは、私たち居士禅者の禅への取り組みが生半可なものだからかも知れません。私たちのように、与えられた公案に対する工夫をずっと続けてきた者にとっては、一則々々の公案が透過したときの達成感、そして、そのような時のその内実に湧出してくる新たな地平へ足を踏み入れたようなワクワク感。たとえ「はしご禅」と揶揄されようと、あの感動は俗世では味わえないものです。それだからこそ、参禅して老師の居わす隠寮で、退出を命ぜられる鈴を何度振られようと性懲りもなく参禅を繰り返すのです。そして、自分の内部に、何かが醸成されたような名状しがたいものを感じます。居並ぶ他の修行者がどうあろうと、自分にとっては委細は関係はなく、またどうでも良いことであります。私事を差し挟んで恐縮ですが、私のような遅々として則の進展が遅い輩に、師家がよほど気の毒と思われたのか「一則々々丁寧にやっていく、というのも修行のひとつかも知れん。実を言うと、どの則も求めているものは同じなんだよ」とお声を掛けられたことを覚えております。
たしかに、禅の修行というのはある種暴力的なところがあります。だいいちに、入門したいと言って願い出る者に対する「庭詰(にわづめ)」「旦過詰(たんかづめ)」といった入門テストをすること自体、万人に対してウェルカムではない、ということでしょう。そして、臨済禅は、その入門した師(師家)と一対一で対峙する機会が多く、その場でその修行者の修行の程度をカウントされることのあることから、非常に荒っぽい対応(そのお師家さんにもよるでしょうが)も有り得るのです。しかし、その中に些かでも私憤などの私情が感じられるようなら、そんなお師家さんに参禅なんかしないで、さっさかその師家の下を離れるべきです。
禅の道場、といった所は体育会系の雰囲気を醸していますし、現にやっていることもそれに近いと思います。またまた私事になりますが、私は、この「体育会系」のシステムなりムードといったものが生来嫌いで、学生時代もそのような団体を忌諱してきました。そんな私でも、この臨済系の団体で今まで修行を続けてこられたのです。それも「生半可」故かもしれませんが。