尾関宗園さんは、大仙院の住職 京都工芸繊維大学にて「生活文化史」の講師
<既成概念に腰をかけていないか>
現在ある形のままで、同じことをやっていればいい、そんな風に考えているから、既成概念に腰を下ろそうとするから、生きていくのが辛くなる。
正座を長時間続けていると、血の巡らなくなって直ぐには立ち上がれない。自分の足なのに、思うように動かせなくなる。
病気で寝たきりの人が床ずれになるのも、体の重みでぐっと血管が押さえ付けられてしまうから、体が動かないから、体重で押さえつけられた部分に血が流れなくなって、その部分の組織が使い物にならなくなるのです。
川のように大きな流れをせきとめようとすると、どんなものも壊れてしまう。
いまあなたが囚われている既成概念とは、そういう流れをせきとめようとする堰に他なりません。
「既成概念に腰かけようとしていないか?」と自分に問うてほしいのです。
そこに座り込もうとした途端に、こころの平安が失われます。
こうあるべきだとか、こうでなければいけないという既成概念に囚われてしまうと、少しもラクになれません。
<人間は本来無一物>
権力や金銭を失うことを怖がる人がいます。
そういうものがなければ、生きていけないと考えてしまう。
しかし、昨日まで権力を誇っていた人が、今日はその座から引きずり降ろされる。或いは逮捕される。何億というお金を動かしていた人が、一瞬にしてその富を失う。そういうことが現実にいくつも起きています。
権力や富といったものは、移ろっていくもの。それなのに、人は往々にして、目の前にある権力に、富に、目を奪われ、心を乱されてしまいます。
人間は本来無一物。裸で生まれ、裸で死んでいく……。
頭ではそう理解していても、長年執着してきたものを捨て去るのは簡単なことではありません。
禅の世界に興味を持った人が増えているのもそういう理由からでしょう。
禅では、地位や名誉、お金や権力ばかりではなく、言葉や身体さえも本物ではないと 言い切っています。