8月2日 輪読会『禅語遊心』から-第3回

 ―― 山花開いて錦に似たり ――
 普通、我々「花」と言えば桜を思い出しますが、これが禅語の方では、特に冒頭の禅語では「山に咲き乱れる花々」を指します。
 これは『碧巌録(へきがんろく)』という禅宗では大変有名な書物に出てくる言葉で、大龍和尚という高僧が、その下で修業をする修行僧から「我々の肉体はやがて滅びますが、永久に滅びない絶対的真理とはどんなものですか」と問われ、大龍和尚は「山花開いて錦に似たり、潤水(かんすい)湛(たた)えて藍(あい)のごとし」と答えたのです。
 一見、この和尚の答えは全く方向違いなもののようですが、これがいわゆる「禅問答」というもので、これで和尚は禅の神髄の一つをこの修行僧に示しているのです。
 禅というものに余り深くない方には、なにがなんだかお分かりにはならないでしょう。それは、ふだん我々が使い慣れている論理的思考回路では説くことができない領域のやり取りだからです。即ち、禅問答は頭で考え、論理的に類推しても決して解くことができないものです。
 ではどうするのか?それは皆さんがそれぞれにご自分で体験してみて頂く以外にありません。
 最後に著者の玄侑宗久さんは、正岡子規の次のような一首で締めくくっておられます。
  ガラス戸のくもり拭(ぬぐ)へばあきらかに寝ながら見ゆる山吹の花。

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