8月9日 輪読会『禅語遊心』から-第4回

 ―― 喫茶去(きっさこ) ――
 禅の方では大変有名な語です。
 直訳すると「まぁお茶でもどうぞ」という言葉です。語感からすると大変親しみのある言葉ですが、禅で使われる時は逆に非常にシビヤーな内容を含んでいます。
 この言葉が使われた時のシチュエーションは多少長くなりますが、
 大老師である趙州和尚という人がお寺を訪ねてきた僧に
 「あなたはここへ来たことがありますか?」と尋ねると、その僧は
 「はい来たことがあります」と答えた。すると趙州和尚は
 「まぁお茶でもどうぞ」という。和尚はまた別の僧にも
 「あなたはここへ来たことがありますか?」と尋ねる。するとその僧は
 「いいえ来たことがありません」と答える。すると趙州和尚は今度も
 「まぁお茶でもどうぞ」という。
 それを聞いていたその寺の院主が
 「老師はいつも同じお言葉でお応えですがどうしてですか?」と聞いた。すると趙州和尚は
 「院主さん、まぁお茶でもどうぞ」と言われたとのことです。

 玄侑宗久さんはこれに、時間経過としての歴史とか、自分が身に着けた概念に基き今起こっている事の理路をたどることよりも“その今そのもの”を大事にしなさい、と趙州和尚は我々に諭しておられる、と述べられている。
 大変難しいのですが、この事を納得するには「座禅して得心する」ほかない、ということかも知れません。

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