8月30日 輪読会『禅語遊心』から-第6回

 ―― 山静かなること太古の如し ――

 山は安定していて微動だにしません。「山が動いた」という言葉がありますが、それはまさに有りえないことが起こった象徴として使われます。
 玄侑宗久さんはこの禅語のイメージを、「山中に暦日なし」という言葉がありますがそれに近いとおっしゃいます。
 人は過去に起こった出来事(時間経過)を頭の中に蓄積しており、それを基にして、今、目の前に起こった様々なことの価値判断をし、また、自分の感情の好き・嫌いを表現します。それに対し「山」には、そうした時間経過としての「歴史」を解体する力があります。少し前の時間から切り離され、少し後のことを憂える気持ちからも解放された時間、それが暦日なき山中の時間です。
 禅では「前後際断」という語があります。「今、ここ」にいる自分があらゆる歴史や因果の関係から解き放たれなさい、ということです。何も思慮分別を加えない、「今」という時間に没頭している、まるで今を夢中で遊んでいる子供のような時間です。
 玄侑宗久さんは、
  分け入っても分け入っても青い山
という山頭火の句をひいておられます。惑いを背負って歩き続ける山頭火は「今その一歩一歩が、自分を生き切っている足取りなのだと気が付いたのではないだろうか」と。

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