<第87回輪読会報告>玄侑宗久・鈴木秀子対談『仏教・キリスト教 死に方・生き方』 ーその第4回ー

【第1章 死にゆく人のためにできること】
※ 今回は「第1章」の4回目です。

  「仲良し時間」が訪れる 

玄侑宗久(以下、玄侑) 私が先生の本を何冊が読んで、非常に印象に残っているのは「仲良し時間」についての記述です。
鈴木秀子(以下、鈴木) まもなく亡くなるという方とお話ししていて、かならず言われることがあります。家族の大切さがしみじみと感じる、そのことをぜひ家族に伝えてほしい。あるいは、長年、対立していた人や仲たがいしていた相手と仲直りしたい。やはり人間は人生の最後に何をしたいのかといえば、お互いを認めて心を通じ合い、許し合いたいということ。
玄侑 そして実際に、そういう時間が訪れる。
鈴木 眠り続けていた人がふっと意識を取り戻し、家族に語りかけたり、さりげなく触れ合ったり。本当にさりげないことなんですが、その人にとっていちばん大事な愛を伝えようとするのでしょうね。その時間を「仲良し時間」と呼んでます。
玄侑 それはいつごろ、訪れるんですか。
鈴木 死の直前とは限りません。亡くなる二、三日くらい前というのが多いようです。家族も気づかず、後で振り返ってみて「ああ、あれが仲良し時間だった」ということも多いようです。
玄侑 訪れる形はいろいろなのですか。
鈴木 そうですね。それまでぐったりしていた人が、突然元気に「みんなを呼んで」とか、「おなかがすいた。何か食べたい」とか、それで大宴会になることも。親しい人に「これ、大事にしてきたものだけど、あなたにあげる」。率直な気持ちで「ほんとうにありがとう」と言う人もいる。
 家族のほうも感性豊かにしておいて、ご病人がふだんとちょっと違う感じで話しかけてきたら、それを受け止めることがとても大事です。たいていはその瞬間から、次元の違う世界に入っていくようです。
玄侑 死にゆく人にとっては、非常に貴重な時間、特別な世界なんですね。
鈴木 ある男性からお聞きした話ですが、お母さんが亡くなる一週間くらい前、突然、「一緒にベッドに入って寝ない?」って言われたそうです。思い返してみたら、子どものころ、別な部屋で寝ていて、よくお母さんの布団に潜り込んだ、そんなことを思い出したそうです。母親にとって、子どもがどれほど大事で、子どもを産むことがどんなに大きな出来事か。母親は死ぬ間際になってそこに戻ったのかもしれない。それが「仲良し時間」です。お母さんもそれで安心したんじゃないですか。
 いろいろなケースがあって、みんなさりげないんですけど、そういうときはほんとうにきれいです。
 ある農家のご老人が「若いときに燐家の田んぼの水を自分の田んぼに引き込んでしまった。それを悔い抜いて生きてきた」と告白されました。働きづめのある有名な会社の社長さんは「ああ、もっと遊びたかった。もっと楽に生きたかった」とつくづくおっしゃいました。そういうことをしなければ人は、人は心残りで死ねないのではないかと思うんです。この一言を言わなければ、この人は人生のバランスがとれなかったんだなと感じました。これも一種の「仲良し時間」です。
玄侑 そういう話でつい思うのは、私たちのなかにはたくさんの矛盾する点があって、もっと遊びたいとかもっと働きたいとか、でも、それでは実社会で働いていくには具合が悪いから、無理やり一つにまとめているところがあります。それがエリクソン(精神分析家)の言い出したアイデンティティで、ほとんどの人がそれが自分の人格だと思い込んでいる。ほんとうはそれらはすべてフィクションなんですが、死ぬ間際にそのフィクションであるアイデンティティがほどけていくのかも知れませんね。
鈴木 ほんとうにそうですね。「仲良し時間」は、ほどけた時間のことなのね。

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