<第92回輪読会報告>玄侑宗久・鈴木秀子対談『仏教・キリスト教 死に方・生き方』 ーその第5回・第6回・第7回・第8回ーを受けて

【第1章 死にゆく人のためにできること】(その5回、6回、7回、8回)から想を得て

 私自身、この歳にいたるまでに多くの人を見送ってきましたし、その中の何人かは看取る場面にも立ち合ってきました。
 そうした中で自身を振り返ってみると、そうした時は嘆き、悲しみ、落胆しがちで、また、そうした情感の吐露が去り行く人への「供養」にもなる、とも思い込んでいました。なにせ、もうその人とは二度と言葉を直接に交わすことはなくなるのだし、顔を見ることすらなくなるという喪失感、失望感、またこの世から近しい人がいなくなるという欠落感、そうしたことが心の中に湧出してくるのです。ところが、この一連のお話し合いを読んでいて思いいたるのは、それらのことは後に残った私自身の「悲しい」というネガティブな感情を抱く私自身の心への慰撫、自己満足なのではないか、と。畢竟、それらは〝我〟の表出ではないのか、ということです。
 鈴木秀子さんは「悲しまないというのは、けっして悲しみを圧(お)し殺すことじゃないと思う。存分に悲しんでいいんです」、「泣きたいときは泣けるだけ泣いて、事実を受け容れる準備をする」とおっしゃっています。近しい人を看送るとき、事情はどうあれ悲しくならない人は居りますまい。悲しくなったら「存分に悲しんでいいんです」。しかしその後で「事実を受け容れる準備をする」のです。そしてそのためにも、その「去り行く人」のその最後の瞬間には存分な配慮をしてあげなければいけない。それが、鈴木秀子さんがおっしゃる「仲良し時間」を設ける、ということではないでしょうか。
 またまた、私自身のことを申せば、これまで私は、臨死体験などの体験談などを興味本位で接したり、知識として蓄えたりしましたが、私たちの身の回りの「人の死」というものに接する際、その息を引き取る瞬間というものにこれほど多様な、そして異次元の「時間」というものが存在する、ということまでは考えが及びませんでした。この本に接して、改めて開眼させられました。
 我が国でも、重兼芳子(しげかねよしこ)や鈴木秀子さんたちのご努力により、特に1990年代以降、「ホスピス」や「ターミナルケア」への認識や施設の普及がすすんできました。これはなにも超高齢化社会に突入したがゆえ、ばかりではありますまい。2018年11月の我が国の緩和ケア病棟施設の数は、415施設・8423病床だそうです。わが国でのこの分野での環境整備もひところから比べれば様変わりと言えますが、まだまだ全体のニーズのボリュームからすれば決して充分とは申せませんし、利用者側の金銭的負担の面からも再考の余地はありそうです。それに、在宅医療、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)への取組みなど、実務面での対応は発展途上の段階のようです。
 そして、こうした、主に医療分野での対応と共にさらに問われるべきはわれわれ残された側の人間――私などは近々にもその反対の側になっても不思議はないのですが――の「その場」における対応、心の持ち様、といったものもこの際もっと変化していってもいいのではないか、とも思います。臨終を迎えた後のことは、その残された人々が存分に「思い通り」にやればいいのです。けれども、「そのとき」までは、主役はそのご当人なのです。「もっと頑張って」とか「死んじゃいや」とか、周囲の人々の思惑や別離の悲しみの感情をぶつけるだけではなく、そのご当人の思い、発したいと思っている(内部に秘めている)ものに寄り添い、それを感じ取る努力、というものがあってもよいのではないかと思うのです。
 人の死、というものは誰にとっても悲しいことですし辛いことです。それは、近しい人の別離ということとともに、ひょっとしたら人が潜在的に持っている「やがては自分もこうなるのだ」という死への恐怖といったものが呼び覚まされるからかもしれません。しかし、今その場では「死へ向かいつつあるご当人」が主役であり、その人のために集っているわけです。その人がどんな思いを持って、どんな形でその最後の瞬間を迎えようとしているか、その現れに接することができれば、その人のすばらしい思い出の1ページが新たに加わるかもしれません。

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