<第91回輪読会報告>玄侑宗久・鈴木秀子対談『仏教・キリスト教 死に方・生き方』 ーその第8回ー

第1章 死にゆく人のためにできること(その8回目)

―― 話を聞いてあげればいい ―― 

鈴木秀子(以下、鈴木) 私が医師会で講演をするとき、何年も前だったらすごく冷たい感じした。札幌の教育会館に千五百人くらいのお医者さんと看護師さんに終末医療について話し合ったときのこと、まだ緩和医学ということばはありませんでした。お医者さんたちは、ガンはどうすれば治るかを一生懸命研究しデータを発表しているなかで、私が突然「人はみんな死んでいくものです」なんていうものだから皆から白眼視された。そこで私が、「病気を治すのが医者の役割ですね。だけど今、みなさんはここに一人の人間として坐っていらっしゃる。一人の人間としてあなたもまたいつか死ぬのです」と言ったとたん雰囲気が変わりました。生身の人間によみがえってくれた。
玄侑宗久(以下、玄侑) 自分も、自分の愛する家族もいつか死ぬ。そう考えれば、お医者さんたちの意識もずいぶん変わるでしょう。
鈴木 そのときの基調講演が私と重兼芳子(しげかねよしこ)さんだったんです。芥川賞を受賞された小説家の。だけどずっとホスピスの運動に携わっていらして、そのうちにご自分も病気になって死にそうだと思っているうちに、ご主人のほうに先立たれてしまった。でも、ひじょうに強い方で、最後のころにお会いしたときは「もう何も言うことはない。起こっていることを受け止めるだけだ」とおしゃってました。その重兼さんが生前、東京都小金井市の桜町病院に、山崎章郎(やまざきふみお)先生を叱咤激励して、ホスピスが誕生するきっかけを作った。
玄侑 山崎先生は私の高校の先輩なんです。『病院で死ぬこと』という本で、ほんとうに早い時期にそういうことを知らしめてくれた。私が印象深く残っていることで、「自分は基本的に『ご臨終です』ということを言わない。いつが死なのかをつらつら考えてみると、見送る人が『亡くなったんだな』と納得したときが死なのではないか」とおっしゃっていました。要は、亡くなっていく本人と見送る人との共同認識、そこに「死」があるので、生物学的な死のカウントは問題ではないと。その意味で、ホスピスというのは、残された側にとっても、すごくいい場所になりえますね。
鈴木 家族のほうも、ホスピスに入れる段階でひとつの覚悟を決めます。人生の上でのいろいろな儀式は、それで心を固めるためにある。結婚式だってこれからいろんなことが起こるだろうけど「これから一緒に生きていきます」と宣言すること。家族も、ホスピスに入れるという段階で一つの覚悟をする。これも必要なプロセスだと思います。
玄侑 「もう無理して闘わなくてもいい、もう楽になっていいんだよ」と本人に伝え、家族も納得していく。
鈴木 もう「死なないで」とか「がんばって」と言わなくてすむ。ただ、寄り添って話を聞いてあげればいい。最後に家族が死にゆく人にしてあげられるいちばん大切なことは、聞いてあげることだと思う。初めは病人自身、漫然と話し始めますが、話し終わると解放され、自由になっていく経過を私はずいぶん見てきました。ターミナルケア(終末期医療)に生涯を捧げたキューブラー・ロスという方がいます。彼女が言っている、「病人は、自分の過去を語ることによって解放される。次の世に旅立つ準備が出くる」と。ターミナルケアとは、死にゆく人が自由に心のうちを表明できるような信頼を創造すること、それに尽きるのではないでしょうか。

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