<第86回輪読会報告>玄侑宗久・鈴木秀子対談『仏教・キリスト教 死に方・生き方』 ーその第3回ー

【第1章 死にゆく人のためにできること】
※ 今回は「第1章」の2回目です。

  なくなる瞬間、穏やかになる 

玄侑宗久(以下、玄侑) これから死にゆく人は、私たちより人生がはっきり見えるのですね。
鈴木秀子(以下、鈴木)そういう状況になって「番頭さん」の声が消えたときに、わあっとわき上がってくる 温かい思い があります。

 ※番頭さん=前回「2回目」の時に鈴木秀子さんが言われた、人が窮地にある時に心の
  中、内面にあって頭をもたげる「常識」、「世間体」、「社会規範」などの人を縛り
  規定してしまう社会標準のような判断基準、またそれを叫ぶ声。

多くの人の場合、そのときは「 家族への思い 」が非常に強くでるみたいです。私はそれを周りの人(遺族など)に伝えたいと強く思うのです。
玄侑 よく言われ る「意識が混濁(こんだく) 」なんかではなくて、もっと次元の違う、ほんとうの眼が開けてきていると思いますね。ユング派の心理療法家のアーノルド・ミンゲルという人がこん睡状態の研究をしているのですが、 昏睡状態の病人はが痛そうだったり、苦しそうといろいろな表情を見せるが、その昏睡状態になってからの表情の変化は、こちら側から世間的な読み取りではわからない。 だけど、いよいよなくなる瞬間には本当に穏やかな気持ちになる方がほとんど で、あるお医者さん は「亡くなる三十分前とか一時間前まで苦しんでいても、亡くなる瞬間に苦しみながら死んだ人は知らない」と。ところが、見送る側は番頭さんだらけなんですよね。     
鈴木 周りにいる人は 準備ができていないんです。みんな 番頭さんの声をわめきたているから、死にゆく人との ギャップが大きいので す。だから、間に入ってくれる人がいるといいのですが。
玄侑 死を目前 の人は、別な次元の世界に行かれるわけですから、それを普段の価値判断のなかで対処されるのはつらいことです。みんなの言うことはよくわかるけど、それを詳しく説明する体力も気力もない。そういう状況は本当に気の毒です。
鈴木  自分のことをわかってもらいたいという気持ちが強いですね、死期が迫っている人は。 自分が死をわかっている人は、もがき苦しんでいて松の苗木のように見えるけど、心はとっても穏やかで、温かいものに満ちていると言われます。 一緒に生きてきた人たちへの温かい大きな思いが広がり、それを伝えたいという気持ちになるようです。ところが、気持ちを受け取る側の準備が調っていない。
玄侑  亡くなってからも、なかなか整わないですね。
鈴木 やはり家族の方は、愛する人に死なないでほしい、少しでも生きていてほしい気持ちでいっぱいです 。 穏やかな気持ちで送り出そうという準備ができていません。亡くなろうとしている方もそういう家族の気持ちがわかっていて、愛する家族の心を傷つけたくない、家族に対してそれ以上は望めないと感じています。だから心のなかを打ち明けられない。人生の最後を迎えるときの懊悩(おうのう)です。
玄侑 そういうとき、介添えの方がいてくださるというのは、死にゆく人にとっては幸せなことですね。
鈴木 家族も頭ではわかっているんですよ、でも、どうしても「この大切な人が死んじゃったら困る」という思いで、どうしたらいいかもわからない 。だから「がんばって、死なないで。お医者さんが治ると言ったよ」ということをいう。

  死を目前にした人は何を思うか

鈴木 私の友人のお母さんががんで亡くなったときのこと、私 も立ち会ったんですが、お医者さまが「あと一日、二日です」とおっしゃったので、「もう痛みを緩和するだけで、後は何もしないで、ICUにも入れないでください」とお願いをしました。私がご病人に「みなさんがこれまで言えなかったことをなんでも話したがっています」とお伝えしたらうなずかれ 、ご家族がそれぞれ会われて、最後にご主人の番。ご主人が「みんな外へ出てほしい」と。ご夫婦二人っきりになりところで、廊下まで聞こえてくる声でお主人が奥様の名前を呼んで、「愛してるよ」とおっしゃった 。子どもたちも驚いて顔を見合わせたくらい。そうしたら、お病人の方も「あなたと結婚できて幸せだった。私も愛しています」と・・・。ご主人のほうも奥さまがうつらうつらしているから、よく聞こえないんじゃないかと思って、そしたら、その声が聞こえたとたんに、奥さまも驚くほどの大きな声を出したんです。言いたい、言い残しておきたいという最後の気力をふりしぼったんでしょうか。人生を完結するためのエネルギーだったと思うんです。もうお互いに言うことがなくなって、その後は、家族がそれぞれ自分の小さいときの話や楽しかった思い出話を語ったり、思い出の歌を歌ったり、そんなふうにして最後の一日を過ごしました。そうしたら、お母さんが最後にもう一度、目を開けて、みんなを見回して「ありがとう」と言って亡くなったんです。
玄侑 ICUでたくさんのコードにつながれたり、心臓マッサージを受けながら亡くなるのとはずいぶん違いますね。
鈴木 とても穏やかな最後でした。

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