<第62回>藤田一照:伊藤比呂美対談〔禅の教室〕ー第9回ー

【序章 そもそも禅ってなんですか?】
※ 今回は「序章」の8回目です。

―― 禅の系譜、曹洞宗と臨済宗の違い ――

伊藤比呂美(以下、比呂美) 前のお話ですと、禅の起こりは歴史的には中国で、それが鎌倉時代に日本に伝わってきたと。
藤田一照(以下、一照) 中国禅の祖師はインドから来た菩提達磨(ぼだいだるま)とされています。そこから慧可(えか)、僧璨(そうさん)、道信(どうしん)、弘忍(ぐにん)、慧能(えのう)と代々法灯が継がれていく。六代目の祖である慧能(628~713)のころに、南宗禅と北宗禅という二つの流れができるのですが、そのうちの南宗禅が日本の禅の基礎になっています。慧能の言行録のような『六祖壇経(ろくそだんきょう)』は禅の非常に重要な経典のひとつです。慧能には清原行使(せいげんぎょうし)と南嶽懐譲(なんがくえじょう)という二人の弟子がいて、そのうち清原行使の系統から曹洞宗が生まれ、もう一方の南嶽懐譲の系統から臨済宗が出てくる。
比呂美 日本の禅宗って、曹洞宗と臨済宗のふたつですか?
一照 あと、江戸時代に、中国の臨済宗のお坊さんの隠元(いんげん)が始めた黄檗宗(おうばくしゅう)というのもあります。
比呂美 日本で曹洞宗を開いたのは道元(1200~1253)で、臨済宗は?
一照 日本の臨済宗は、栄西(えいさい=1141~1215)が宋(=中国・宋代)に行って日本に伝えたのが最初です。ただそのあとも、宋からの渡来僧や日本人僧によりいくつもの修行道場が開かれた。無学祖元(むがくそげん)禅師(1224~1286)の鎌倉・円覚寺とか、関山慧玄(かんざんえげん)禅師(1277~1360)の京都・妙心寺(みょうしんじ)とか。だから臨済宗には本山がたくさんある。全部で一四派だったと思います。円覚寺派とか建長寺(けんちょうじ)派、妙心寺派、大徳寺(だいとくじ)派といった。
栄西の法系は絶えてしまいました。いまの臨済宗の元になっているのは、江戸時代の中興の祖である白隠(はくいん)禅師(1686~1769)です。ですから日本的な臨済宗なので中国の臨済宗とはだいぶ家風が違っています。
比呂美 曹洞宗の方は?
一照 曹洞宗には永平寺と横浜市にある総持寺という二つの本山があり、一時両者の間で対立があって曹洞宗が分裂しそうになった歴史がある。今は永平寺系と総持寺系のパワーバランスをとってひとつにまとまっている。だから曹洞宗の中にはいちおう何々系というのがないんです。
比呂美 よく「臨済宗は武士の間に流行った」と聞きますよね。
一照 「臨済将軍、曹洞土民」などといわれるように、臨済宗は大名や将軍、武士に、曹洞宗は農民や漁民のような庶民の間に広まったことになっている。それほど違ったことは言っていなかったんじゃないかという印象を僕は持っていますけど。
比呂美 禅は禅なんですね。臨済宗は公案を重視して、曹洞宗は坐禅を重視する、と何かで読んだんですけど、曹洞宗には公案はしないんですか。
一照 公案は曹洞宗でも使いますよ。ただ、曹洞宗では臨済宗のような公案の使い方はしないですね。

―― 禅問答の臨済宗、只管打坐の曹洞宗 ――

比呂美 公案の使い方って臨済宗と曹洞宗でどう違うんですか。
一照 臨済宗では公案を師から課題として与えられ、「独参(どくさん)」と呼ばれる師との一対一の面接の場でその公案に対する自分の見解(けんげ)を示して師の点検を受けるという修業が中心になっています。公案の点検ができる力量を持った人は師家(しけ)と呼ばれます。独参では弟子が「私はこの公案をこう理解しました」といろんなやり方で老師にプレゼンをする。老師がそれをチェックし、ダメだったら鈴を振られます。「まだまだ。出直してこい」というサイン。これをきいたら、問答無用、もっと何かしたくても引っ込まなきゃならない。
OKの場合は、「よくやった」なんてほめ言葉なしですぐ次の公案が与えられる。例えば「無字(むじ)の公案」というのがあるんですが、まあOKの見解だったら、老師は鈴を鳴らさないで「お前の見た無字はどんな音がするんだ」とか、「無字はどんな色をしているか」「無字をどこで見たか」「お勝手で見たのか」「雪隠で見たのか」とかさらに細かい質問をしてくる。このやりとりは実際に独参をやった人じゃないと、何が何やらわからないと思います。
比呂美 正解ってあるんですか。
一照 きっとあるんでしょうね。公案というのはだいたいが「かつて中国で、あるお坊さんがこういうふうに質問したら、師匠がこう答えた。それでハッと気づいて悟った」と師と弟子の禅問答の形になったものなんです。そこで起きたのと同じことを独参の場面で人工的に再現しようとしている仕掛けのようなもの。
修行の最初に与えられる代表的な公案は「無字(むじ)の公案」とか「本来の面目の公案」。あるいは江戸時代の白隠さんが新しく作った、「両手をうったらパンと音がするが、これは両手の音だ。じゃあ片手の音がどんな音か、それを聞いてこい」という「隻手(せきしゅ)の公案」というのも有名です。
公案の答えは公開されていません。人の答えを聞いて通ってもしょうがないからです。たとえ、パスした人に聞いてカンニングして、それと同じ答え方をしたとしても、同じように通るかは別です。臨済宗の公案の修業は、本物は通す、偽物は通さないということをきちんと見定められる確かな目を持ったお師家さんがいないと成り立ちません。
公案というのは「やってはいけない、でもやらないのはなおいけない。さあお前はどうするんだ」「言ってもいけない、言わないのもいけない。そこで、さあ何か言ってみろ」というどこにも逃げ道がないところに追い込んでおいて、そこでどうするかという、論理的には解けない問題が基本形になっています。この矛盾をなんとか解かないことには先に行けない。修行者はそこに散々苦しんでそのあげくにブレークスルーの体験をするんです。
(㊟ 「公案の見解をもって独参する」という臨済禅のやり方は)自他一如(じたいちにょ)を知るためにデザインされている。だから、無になりきれというわけです。「本来の面目」も同じ。そうやって本来の自己を知る。
比呂美 一如を知るということは、つまり縁起を知るということでしょう。
一照 そうですね。禅では縁起とかそういう抽象的な仏教用語では言わないですけど。禅ではそれを「無字」といったり「本来の面目」と言ったり、「片手の音」といったりする。
比呂美 それもかなり抽象的でわかりにくいと思うけど(笑)。
一照 仏教学的に発心とか空とか縁起とか真如ということになるんけど、それは禅が嫌う「理知」だからあまり言わない。特に臨済宗の伝統の公案では、そういう仏教学の言葉を使って公案に答えたら全部ペケでしょうね。「無字とは一如のことです」なんて言ったら、すぐ鈴がチリーンでしょう。頭で理解できないことをどうにかしてここで見せろというのが最初の公案ですからね。ぴちぴちしたナマの一如を師家の前で具現して見せなくっちゃならない。
比呂美 すごくむずかしい。頭が変になりそう。
一照 臨済宗の公案修行というのは普段の頭の働きを破壊するネライもありますからね。もちろん健全は方向にですよ。でもうまくいかないと不健全な方に行っちゃう。でもうまく働いたら相当深いところでの変容が起こると思いますね。
比呂美 公案の他に坐禅もするんですですよね。
一照 もちろん禅宗ですからね。臨済宗では坐禅しながら公案を練っていくんです。体で公案に取り組むという感じでしょうね。
臨済宗と曹洞宗の坐禅のやり方違いというのは、臨済宗では対面して坐りますが、曹洞宗では面壁といって壁に向かって坐ります。臨済宗では、初めのうちはだいたい数息観(すうそくかん)といって、「ひとーつ、ふたーつ」と呼吸を数える。公案に取り組むには雑念が入るとできないので、まず基礎的な集中力の訓練が必要だということですね。そうやって禅定力を練る。一人前に公案をもらえるようになるまでは、まず数息観をやって力をつける。一方曹洞宗では、こういう段階を踏まないからずーっと只管打坐(しかんたざ=㊟ ただひたすら坐る)一本やりというのが主流です。

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