5月 9日 松原泰道著 『公案夜話』-第16回〔至道無難〕

 ――― 至道無難(しどうぶなん)—さとりへの道 ―――

 この語は、これまでにも何度か採り上げました禅書の最高峰ともいわれる『碧巌録』に出てきます。そして、この「至道無難」の語を発したのは、これまた何度かご紹介している趙州和尚です。
 「至道」の語についてですが、紀元四世紀、中国の戦国の時代に登場した大思想家に孟子と荘子の二人がいますが、この内の荘子の方の思想は、彼ら中国の思想家の先輩にあたる老子の思想に相通じるものがあるところから「老荘の学」といわれます。
 この老荘の学は、この世の現象界のものはすべて相対的であるのに対し、宇宙の本体の「大(あるいは道)」は、絶対的である、というもので、この思想は時の中国に既に伝えられていた仏教と相互に大変影響しあっていました。
 荘子の書に「至道」という言葉が出てきますが、それによりますと「至道とはまことの道に達することであり、それは無為(人為的な作為を挟まずに自然のままであること)にして自然のままで居られるようになることで初めて獲得でするもの」とされています。これをもってして、「老荘の学」を「道教(どうきょう)」といわれる所以です。この道教と孔子の「儒教」とは、東洋思想の大きな流れとなっています。
 しかし、禅でいうところの「至道」は、日本の道元禅師(日本における曹洞宗の開祖)がその著『正法眼蔵』の「弁道話」の中で採り上げられていますが、その辺を意訳しますと「仏性は、人間を人間であらしめる根源的ないのちで、だれもが生まれながらにして持っているものであるが、しかし、その存在の自覚は、修行をしないことには意識の上に昇ってこない。修行を通じてその仏性を自覚できる(悟ることができる)ことを至道という」としておりますので、道教のいう「至道」とは多少ニュアンスを異にしています。
 この言葉の後に「無難」が続きます。今日、無難というと「特段に優れてもいないが、さりとて非難を極めるほどの難点もない」というほどの意味に使われますが、本来は「難しいことではない」という意味です。この「至道無難」の語は、中国での禅の三祖(達磨から数えて三代目の祖師)である僧璨鑑智(そうさんかんち)の著『信心銘(しんじんめい)』の中にある語です。至道無難の後に「唯嫌揀択(ただけんじゃくを嫌う)」という語が続きますが、「揀択」の意味は「選り好みをする」という意味です。更にその後に「但莫憎愛 洞然明白」と結びます。これは「但憎愛(ぞうあい)莫(な)ければ、洞然(どうねん)として明白(めいばく)なり=憎しみとか愛とかいう相対的な選択眼を無くせば、何もない天空の如く明らかになる」という意味です。
 趙州和尚もこの「至道無難 唯嫌揀択」の語をひいて提唱をしています。「至道はむずかしいことではないというが、決してたやすいことでもない。僅かでも口を開くと揀択の迷いが明白(めいばく)になる」といい、さらに「私のその明白の中にもおらんぞ。おんみらは揀択のないところを大事だと思いこんで大切にしすぎておらんか……」と。そこで弟子の一人が、「揀択(けんじゃく=まよい)のせかいにも明白(めいばく=さとり)の場にもいない、では趙州は一体どこにいるのでしょうか」と問います。それに対して、趙州和尚はにべもなく「私も知らん」と教えてくれません。これが本稿の公案「趙州『至道無難』」の眼目とするところです。
 松原泰道さんは最後に、良寛さんの漢詩を紹介してこの項を締めています。
 「花無心招蝶
  蝶無心尋花
  花開時蝶来
  蝶来時花開
  吾亦不知人
  人亦不知吾
  不知従帝則
 咲く花は、あの蝶に来てほしい・あの蝶には来てもらいたくない、とも思っていない、花は選り好みをしません、無心です。蝶もまた揀択の心なく花を尋ねます。無心です。ともに招きたいとも、尋ねたいとも思わぬのにおのずからめぐりあうのです。私はこれを〝無心の縁(えにし)〟と呼びたいのです。
人との出会いも同じです。私もまた他の人のことを知らないし、他の人もまた私のことを知らないのです。知らないままに帝則に従って生きているのです……という程の意味でしょうか。『帝則』は、天帝の法則です。天帝は天にあって宇宙を支配する権威者のことで、中国の思想です」と。
 今回のご紹介のものは若干難解かも知れませんが、内容の言葉の難解さにこだわらなければ、その言わんとしていることはまさに〝無難〟です。

カテゴリー: 輪読会 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です