8月 1日 松原泰道著 『公案夜話』-第27回〔南泉斬猫〕

 ――― 南泉斬猫(なんせんざんびょう) ― 殺されたのは猫ではない ―――

 この公案は、文字をご覧になられてもお分かりのように、非常に残酷な内容です。禅の公案には、むろん優しいものもありますが、中にはこのように残酷極まりない厳しいものもあるのです。それはある意味「禅の厳しさ」でもあります。

 中国の唐代の中期というのは、禅宗の最も栄えた時代でもありました。当時は、禅の高僧の下には各地からたくさんの修行者が参集し、修行道場は修行僧でいっぱいだったそうです。
そうした中の一人、この〔市川静坐会・輪読会〕のブログ紹介でも何度か名前が出てきた有名な馬祖道一の法を継いだ南泉和尚のお話です。南泉山の禅堂は、東西二堂に分かれていましたがそのどちらも修行僧でいっぱいでした。この南泉和尚は、自ら率先して作務(修行道場内の仕事)に従事される方(禅の修行道場は自給自足が原則で、そのためには畑仕事は無論、庭造りや掃除、洗濯、炊事と仕事は山ほどあります)で有名でした。
 ある日、たくさんの雲水(修行僧)が集まって一匹の猫について「東西どちらの堂の飼い猫か」について、論争をしていました。夫々のお堂には鼠がやたらに多く、猫の存在が大問題でした。その場に行き合わせた南泉和尚は、いつ果てるともない騒動を見てその猫を掴み、「みなの衆よ、道(い)い得(え)ば即(すなわ)ち救わん、道(い)い得(え)ずんば斬却(ざんきゃく)せん=君たちは、とかくの論争に夢中だが、論争の余地のないぎりぎりの真実の一言を吐け、それができたらこの猫を救(たす)けるが、できなかったら猫を殺すぞ」とつめよります。南泉和尚の気迫もさることながら、その問自体に誰も答えられません。そこで、南泉和尚はその猫を切り殺します。〝どう答えたら猫は殺されずにすんだのか〟がこの公案の眼目です。
 その日の夜、南泉和尚の愛弟子で、これまたこの〔市川静坐会・輪読会のブログ紹介〕では何度も出てきます趙州が外出先から帰ってきました。南泉和尚は、昼間の一部始終を話し「もし、その場にお前がいたら何と答えるか?」と問います。すると趙州は一言も答えずに、履いていた履(くつ)を脱いで自分の頭に載せて部屋を出ていきました。南泉和尚はそれを見て「お前がその場にいてくれたら、わしは猫を殺さずにすんだのだが」と、残念がりました。
 禅書の『無門関』で、著者の無門和尚はこの公案を「趙州が履を頭に頂いたのは、どういう意味か、それがわかったら、南泉が猫を斬った行為はむだでない、わからなかったら南泉の行為は危険な行為となろう――」と評しています。さいわいに愛弟子の趙州が、事後ではあったが、修行者や後世の人たりのために、一つの解答の範例を見せてくれたので猫もむだ死に終わらず、南泉も野蛮行為と批判されずにすんだというのです。
 思えば、私たちはこの猫騒動のように常に自他の対立で心身をすり減らしているのです。そして所有欲に明け暮れ追いまわされているのです。南泉は、あえて不殺生の戒を犯して猫を斬ることによって、自他の対立や欲への執着を切断したのです。したがって猫はたんなる猫ではなくて、人間の持つ一斎の執着や自他の対立の表象です。
 敬虔なクリスチャンでしかも禅体験の豊かな、門脇佳吉(かどわきかきち)上智大学教授も、「南泉斬猫」の公案を透過して、次のようにいわれます。
「すべての二元観を超え、自分と猫との差別を越えて、すべてを永遠のいのちから見ていたに違いありません。(中略)生と死、十字架と復活などの二元的相対を越えて、すべては神のいのちの現れと見る境涯に達したならば、全く新しい現実を悟れるようになれるでしょう」(『公案と聖徳の心読』)

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