8月 8日 松原泰道著 『公案夜話』-第28回〔馬大師不安〕

 ――― 馬大師不安(ばたいしふあん) ― 生のままに死のままに ―――

 前回の公案の「南泉斬猫」の南泉和尚の師である馬祖道一禅師のお話です。名前からも想像できますが豪放磊落な人で、その禅風と人柄を慕って多くの修行者を集め、また傑出した後継者を輩出しました。
 その馬祖禅師も高齢での病には勝てませんでした。表題の公案の「不安」とは病のことです。80歳になった馬祖禅師の病の床を寺の執事役の僧が見舞いました。その「和尚さま、ご容態はいかがでらいっしゃいますか」との見舞いの言葉に、禅師は「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)」と答えました。この執事役の僧のお見舞いの言葉に答えた馬祖禅師の「日面仏、月面仏」とはどのような仏様か? というのがこの公案の問いの主旨です。
 ある仏教学者は、「日面仏は長命、月面仏は短命の象徴である。馬祖は、長命・短命の二元的発想を超えた生命の絶対性を、執事役の僧に説法したのだ」と言います。現代人には分かり易いようですが、これは要するに理論や観念の遊びのようなものです。
 江戸中期の臨済禅の高僧・白隠禅師の高弟の東嶺(とうれい)和尚が、ある年江戸の東北庵(とうほくあん)(渋谷東北寺)で、この「馬大師不安」の則(そく)が載る『碧巌録』の講座を開きました。その聴講者の一人の高齢のご婦人が、思わず東嶺和尚の声に和して「日面仏、月面仏」と力頭よい声で唱えました。後で東嶺和尚がこの婦人に会って話をすると、この婦人はこの公案を解決していたことが分った、という話が伝えられています。自らを日面仏、月面仏の中に投げ込んで、日面仏、月面仏に成り切るといいます。
 『碧巌録』を編集した圜悟(げんご)(1135年没)は、このことを「生也(せいや)全機(ぜんき)現(げん)(生のときは死を思わず生に徹す)死也(しや)全機(ぜんき)現(げん)(死のときは生を思わず死に徹す)」といいます。生と死とを相対的に考えるのではなく、生は生として絶対、死は死として絶対、生きている時は精一杯生き、死ぬときは精一杯死ぬのが、日面仏、月面仏でしょうか。しかしこれもまた観念論です。
 観念的に答えを知ったとしても、観念に止まる限りどんなに立派な答えであっても、人生の実際に役に立ちません。身体での納得が要求されるゆえんで、身体で答えを示すには修練の期間が必要です。
 著者の松原泰道さんは、「私も(太平洋戦争から)復員したときは肺結核を病んで、回復の望みも持てない病床で、この『日面仏、月面仏』と幾日も唱えましたが少しも安らぎません。生也全機現・死也全機現とはどうしたらいいのか、皆目わかりません。たまたま柴山(しばやま)全慶(ぜんけい)老師の著書を読んでいて、死について次のように教わりました。『要は、死の表面の形によることではなくて、どんな死に方でもよい。その人自身にとって一念の疑いがなく、非喜好悪を超える永遠のいのちへの信に、どしんと肝が据わっていれば、苦しみに悶えて死ぬことも、また一段の風流というべきではないでしょうか』。問題は『永遠のいのちへの信』です。死んだら天国や浄土に往(い)けると信じるのも、永遠のいのちへの信です。死んだら大地の土に帰ると信ずるのも、永遠のいのちへの信です。
 間宮(まみや)英宗(えいじゅう)老師は、『碧巌録』の「馬大師不安」を講じて、
「もがく時にはもがいて死んで一向差支えない。(恰好(かっこう)いい死に方をしようなど)虚栄はよすがよい。虚栄をやめて、苦しければ思いっきり苦しむ、悲しければ思いきり悲しんで死ぬがよろしい。どうです、これだけの秘伝を教えてあげただけでも気が楽になったでしょう……。」
 人生論からしても、生死は共に人間の自由や選択の外にあって、どうにもならないものです。それをどうにかしようと焦るから悩みが増すのです。どうにもならないものは、人間を越えた大きな力にお任せして、どうにかなることがらを一生懸命やろうと決心する、それが人生論的な営みといえるのではないでしょうか。」とおっしゃいます。

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