1月26日「藤田一照:伊藤比呂美対談〔禅の教室〕ー第14回ー」を受けて

【第1章 私の坐禅は正しい坐禅?】

―― 続けていると風景が変わってくる ―― から想を得て。

 今回は、坐禅の大変難しいな部分、特に「坐禅を続けていく」上での困難について、大変ストレートに語られています。この中で伊藤比呂美さんは、この人らしく、坐禅に対するご自身の現状を非常に率直にお話しされています。藤田一照さんも、比呂美さんの、いわばツッコミに真正面から対峙されています。ここに書かれていることは、全く以って、坐禅の隠しようもない側面です。ですので、お二人の会話を出来るだけ細かに転載させていただきました。
 この坐禅のネガティブな側面をほおっかむりして、「坐禅はいいですよ」とふれまわっても、どんな人でも、坐禅を続けていく上で必ずぶち当たる大きな壁で、避けようがありません。
 私たちがやっている「居士禅(在家禅)」でも、やはり同じ坐禅には違いないので、状況は同じです。というよりもむしろ、「出家」という手順を踏まない分、そして絶えず世間一般と密接につながっているがゆえに、また、〔坐禅の空間〕と〔娑婆(一般社会)〕との「出入り自由」であるがゆえに、居士禅の修行者がこの壁の向こうに出ることは大変難しい作業でもあります。この辺の葛藤は、夏目漱石の小説『門』の中によく表れています。主人公の宗助が、忸怩たる思いを募らせて「門」の前にたたずむ、これが多くの居士禅の挑戦者の実態かもしれません。
 私たち「市川静坐会」は、一照さんがこの章の中で言われているように、まさに「坐り合う仲間」を募って毎週土曜日の夕方、市川市の中央公民館で坐ることを続けています。一照さんの指摘されるように、それは主催する私にとっても「自分のため(そういう環境に追い込むため)」にもなっています。私はといえば、他にも坐る場所を得ているのですが、その場所とのいわば両天秤をかけているようなところもあります。けれど「坐り合う仲間」が居る以上、この市川静坐会を決して疎かにはできません。
 もう少し本書に沿ってお話すれば、一照さんが途中で「まあ別に坐禅しなくても死なないからね。無性にまあやりたい時節が来るまで待つって手もありますよ、僕は最終的には坐禅はやりたい人だけやればいいと思っている」と、いわば、やゝ突き放した言い方をされていますが、古参(旧参)の禅修行者はやゝもすればこのような言い方をします。前に出てきた「庭詰」や「旦過詰」にも相通じるところがあります。「やる気のある者がやる」、「続ける覚悟のある者がやる」。禅宗の、1800年の歴史で一貫していた一つのポリシーで、禅宗には、こういったドライな側面は底流として脈々とあります。
 然は然り乍ら、禅宗は紛れもなく仏教の一派です。その仏教においては「衆生済度(迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くこと)」は大命題です。ですので、禅宗といえどもこの衆生済度に向かわなければなりません。
 ‟禅”が今、日本国内はもとより、広く海外でもこれほど注目をされているには、それ相応の理由があるからのなでございましょう。今ここでそのことを論ずるのは避けますが、これほどの環境状況にありながら、なかなかそのパイが広がっていかないには、やはり「続けていく難しさ」がどんな人の眼前にも立ちはだかることが必ずある、というのが所以だろうと私は思っています。
 この章の後半には、一照さんも話頭を変えて、それでも、その先に一条の光を目指して黙々と(あるいは粛々と)「坐り続ける」ことをすれば、本章の表題でもある「風景が変わってくる」ということを説いておられます。坐禅における先達が、ご自身で坐禅を通して感じられたこと、得られたことを書物やいろいろな場面で意を尽くして語られています(「不立文字」というのはございますが、それとは別次元のことです)。また、よくご存じの禅語にも「禅が目指すもの」をその含意として言い表されています。
 「最初の一年と、二年目と三年目でどんどん変わっていく」ことになるのです。「僕も『まず黙って10年坐りなさい』って言われたなあ。自動的にそうはならないだろうけど、ラッキーならそういうことになるだろうね」と。ここでいう「自動的にはならない、ラッキーなら・・・」とは、よき指導者に会って正しい指導を受ける、もっと禅宗的にいえば「良き師にまみえる」ということのようです。その昔の中国で坐禅が盛んであったころ、禅の修行僧たちは、その「良き師」を求めて全国を旅した、と言います。それを「行脚(あんぎゃ)」といいました。ことほど左様に、坐禅では、自分が「この人!」と思える人に出逢うこと、それが非常に大事になります。坐禅の世界でも「出会い」というのはその後の運命を変える、といえるほど大事なことなのです。
 しかし、それが可能になるには、そのご当人の絶えざる「求める気持ち」を抱き続けることだともいえます。

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