<第71回>藤田一照:伊藤比呂美対談〔禅の教室〕ー第18回ー

【第2章 正しく坐るのも一苦労?】
※ 今回は「第2章」の2回目です。

―― 「賢い体」の作り方 ――
(この項では、「坐禅をする前に体をリラックスさせる」ことが説かれています)

藤田一照(以下、一照) (一照さんは「坐禅をする前に体をリラックスさせる」ことを薦めています)ちょっと仰向けに寝てみてください。そして僕が両手で比呂美さんの両足を持って小さく揺らします。その次に、両手首を持って上の方から揺らします。比呂美さんは全身の力を抜いて、ただ揺られてください。人間の体は柔らかい革袋のようなもので、その中にいっぱい水が入っていて、骨や内臓や脳といったパーツが浮かんでいるというイメージです。これをちゃぷちゃぷ揺らす。こういうほぐし運動をまず十分にやります。
伊藤比呂美(以下、比呂美) ただ揺られていればいいんですね。超気持ちがいい。
一照 注意するのは、揺らす側も余計な力を入れずにやること。揺らす側が緊張していると、相手にも緊張が伝わってしまう。揺らす側は、相手の体だけを揺すんじゃなくて、頭の先のあたりを揺らそうと思ってやってみる。揺らす側も、自分が揺らすのではなくて、後ろの方からやってきた波が自分を通って相手を揺らす、という感じ。
比呂美 一人でやるときはどうしたらいいの?
一照 寝た状態でズンバをすればいい。
比呂美 寝た状態で、体幹を意識して、脱力して、腰を回す、ズンバならどこでもできる。
一照 坐禅会に来るサラリーマンの方なんか、こちらが手首をつかもうとしただけで、反射的に自分で腕を持ち上げてきます。僕の期待に添うように。しかも本人はそれに気づいていない。
 重要なのは脱力することで、それによって感受性が高まる。この感受性が大事なんです。
比呂美 脱力すると感受性が高まる、なるほど。
一照 他にもいろいろあるんですが、こんなふうに体をほぐしたあと坐って、あちこちの関節をゆっくり回していきます。最初は坐蒲(ざふ=坐禅の時に腰の下に敷くクッション状の座布団)なしでやって、ある段階から坐蒲を敷くようにしているんです。そうすると、坐蒲のありがたみがわかる。坐蒲があると、お尻を通して上半身が下からしっかり支えられている感覚がはっきりわかる。人間の体って、確かな支えがあるなと感じるとそこに安心して体を預けるようになり、心からリラックスできる。坐ったら、足の指、足首、腰、股関節と、下の方からじっくり丁寧に関節を回しほぐしていきます。いきなりマックスの力でギュッと伸ばすんじゃなくて、「体に許されながらやっている」という感じで、じわーっと。
 末端をこうやってほぐすと、実はその部分だけじゃなくて、体はみんなつながっているので、末端を動かしてほぐせば中心の方にもその影響は伝わっていく。
比呂美 自己マッサージですね。
一照 そうですね。丁寧でいたわるように体に向かうことが必要なんです。ものを動かしているんじゃなく、じっくり味わいながら、自分の体に親しみながらやる。回せる限界ぎりぎりではなくて、二段ぐらい手前で余裕をもって、ストレッチじゃなくてほぐしですからね。あまり回すことばかりに没頭しないように。実はこれは全身運動なんですよ。足首の動きに連動してほかの部分も微妙に動いています。その動きをブロックしないようにできるだけ体を緩めておく。
比呂美 いま意識して骨盤を動かしていますけど、これは作為的じゃないですか?
一照 確かに骨盤を意識的に動かしてますが、他はそうじゃないですね。骨盤の動きに連動して自然に動いています。そういうからだのつながりで動く連動の感じ。
比呂美 呼吸はどうすればいいんですか。
一照 別に考えなくてもいいです。楽にやっていればこの運動に適した呼吸になっていきます。緊張しちゃって息を止めないこと、動きが硬くなっちゃうますから。吸った方が楽な時に吸い、吐いた方が楽なときに吐く。こういう当たり前のことをわきまえられるのが「賢い体」です。
 このぐらいのワークをやった後に、坐蒲を使います。どうですか、ここで坐蒲を敷くと。
比呂美 本当だ、すごく楽です。たしかに坐蒲のありがたみがわかります。

―― 坐る時は「許して、任せる」 ――

一照 坐骨を坐蒲の上に置いた状態で、右でも左でもいいので、どちらかの脚の膝を曲げて坐蒲の方に近付けて、その前にもう一方の脚を曲げて並べてみてください。このように脚を組まない坐り方を安楽坐(あんらくざ)といいます。ここからさらにどちらかの脚を反対側の膝の上に乗せて足を組むのが半跏趺坐(はんかふざ)。更にもう片足も反対側の膝の上に乗せるのが結跏趺坐(けっかふざ)です。
比呂美 半跏趺坐はできますが、結跏趺坐になるとかなり脚が痛い。
一照 むりはしないでください。無理して脚を組まなくていいです。安楽坐ですら楽に坐れない人は正坐でも構いません。そういう決まりだからというわけで無理やり足を組んだりすると、正に坐禅が苦行になってしまいます。
比呂美 でも坐禅といえば、こうやって脚を組むのが重要というイメージですよ。
一照 たしかにそのことをとても重視する人もいますが、僕は脚を組むよりも大事なのは、背骨を柔らかく上下にしなやかに伸びている状態で坐ることだと思っています。枝である脚よりも幹である体幹のクオリッティを優先するべきだと。
比呂美 手はどうしましょうか。
一照 普段僕らは、手を前で使っていることが多いので、胸ごと肩も前の方に巻き込まれて胸が閉じている人が多いんです。胸の動きを制限して息がしにくくなっています。ところが「胸を開いて」というと逆に開きすぎてしまう。意識して「する」とたいていやりすぎるんです。
比呂美 ああ、そういえば私も少し肩が前に巻き込まれている。
一照 だから本来の肩甲骨の位置にリセットしましょう。一度息を吸いながら肩を持ち上げて、そのまま後ろにぐるっと回しておいて、ここでストンと一気に落とす。あとは放っておくと、肩甲骨が落ちついた位置に戻っていくから、それを待つ。これを三回ぐらい繰り返す。ふだんから僕らは腕や手を道具として操作するためにいろいろ使っていますね。でも坐禅のときには、手や腕は世界を操るために使わないので、ぶら下がっている状態にします。本式の坐禅の場合は、ここからさらに手を動かして、右手の指の上に左の指が重なるように置き、両手の親指の先端どうしをかすかに触れ合わせるようにします。

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