<第31回>ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント33 - ネルケ無方

―― 〔その2〕少欲知足という生き方 ――

知足(ちそく)の人は、地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も猶(なお)安楽なりと為す。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦(また)意に称(かな)はず。不知 足の者は、富めりと雖も而(しか)も貧し。知足の人は、貧しと雖も而(しか)も富めり。

 これは、道元禅師の『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』の中の「八大人覚(はちだいにんがく)」にある言葉です。
 ネルケ無方さんの本章の中の文章をかいつまんでご紹介していきます。

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 今から11年前、2001年の夏のことです。師匠の許(もと)で八年間の修業を終え、安泰寺の法を継いだとき、私は考えました。
 「ドイツにはお寺がないけど、坐禅道場がすでにたくさんある。日本にはお寺こそたくさんあるけど、坐禅道場はあまりない。在家の人と一緒に、毎日坐る道場を日本でつくってみたい」と。
 実際のところ(日本国内では)在家の方が坐禅できるお寺はそれほど多くありません。安泰寺のような修行道場の場合、毎日朝と晩、それぞれ二時間の坐禅に参加できますが、町から山に入ること十七キロ、最寄りのバス停から未舗装の道路を上ること四キロです。それでは、仕事帰りに気軽によることはできません。どうせ道場を開くなら大学生でも会社員でも参加できる大都会でやりたいと思ったのです。ところが、大都会の家賃は高いので、私には住む場所を借りるお金すらありません。
 どうすべきか? 安泰寺の山を下りて、悩みながら大阪城公園を散歩していたところ、あちらこちらブルーシートのテントが張られており、木々に囲まれて暮らしている多くの人々に出会ったのです。当時、大きな社会問題にもなっていたホームレスです。二千五百年前に釈尊が宮殿を出て、菩提樹の下で坐禅をしていたのも公園でした。ならば、私もここのホームレスたちを見習い、同じ生活をしようではないかと決めたのです。
 「こちらに、私もテントを張ってよろしいでしょうか」
 思わず近くのホームレスのおじさんに声をかけてみました。
 「おお、かまわんよ」
 すぐに許可していただき、大阪城公園で〝ホームレス雲水〟となりました。「流転会」と称して屋根も壁もない道場を開きました。
 最初は一人で早朝の大阪城公園の堀の上で坐禅を組むことも多かったのですが、まったく苦になりませんでした。午前中は托鉢(たくはつ=出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、街を歩きながら、街の辻に立ちながら生活に必要な最低限の食糧などを乞うことにより、信者に功徳を積ませる修行<ウィキペディアより>)に出かけたり、午後は秋空の下で読書をしたり翻訳をしたりしました。「一日すべてはオレの時間、全世界はオレのポケットの中」という気持ちでした。新しい、自由な風に吹かれて、可能性は無限大に感じられました。あのときほど、人生が充実していたときはなかったでしょう。まさに、仏教のいう「知足」です。今、日本で「少欲」や「知足」というと、「やせ我慢しなさい」という解釈をされることがあるようです。マイナス思考に聞こえるらしいのですが、とんでもありません。我慢というよりも、むしろ「解放」なのです。欲という束縛から解放されれば、「なんだ、失うものは何もなかった」という気づきが待っているのです。
 入滅(釈尊が亡くなる)される直前の釈尊が、弟子に向かって最後に解いた本当の大人(仏教用語の場合、「だいにん」と読みます)の八つの条件が「八大人覚」です。このとき釈尊は、弟子たちに生きる秘訣(ひけつ)を非常に簡潔に説かれています。(そしてそれに)続くのが冒頭に引用した「知足」です。現代訳しますと、
 「足るを知れば、地べたで寝ていても安楽である。足るを知らなければ、天堂の住まいでもまだ文句が出る。足るを知らないものはお金持ちであっても貧しい。足るを知るものは貧乏であっても豊かである」
 知足を一言で言えば、「これでいい!」という実感です。すべてを手放してみたら、仏の手のひらの中に自分を再発見するというようなものです。
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 京都の龍安寺の丸い石のつくばいに彫られた、「口」という字を中心にした「吾唯足知」の4文字は、同寺の石庭と一緒に観光スポットになっていて余りに有名ですが、その書かれている文字の心は、まさに上の文章にあることなのです。
 現代の社会状況に思いをいたせば、投機による資金の偏在、IT産業に伴う巨万の富の蓄積、その一方でそれらの富の偏りに浴すことのない圧倒的な多くの人々の大きな存在。今、経済社会の有り様が根底から問い直しを迫られています。金銭的価値基準を主軸にしたライフスタイルだけでこれからの人間社会を維持していくことは、もう無理なのではないでしょうか。

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