<第43回>ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント- ネルケ無方

―― 〔その12〕If not now, then when? ――   ネルケ無方

 今までになかった、そして珍しい英語の表題です。ちょっとキザですが、英語に堪能なドイツ人のネルケさんだから許されましょう。
 本章で掲げられた道元禅師の言葉は『典座教訓』の中の
  他(た)は是(こ)れ吾(われ)にあらず・・・
  更(さら)に何(いず)れの時をか待たん。
というものです。日本では得られなかった「納得のできる禅の教え」を求めて中国へ渡った道元禅師も、当初、彼の地でも決してスンナリと目的を達せていたわけではありません。禅宗がある程度流布していた中国では、ご多分に漏れず、禅宗界にもオゴリがはびこり、寺院どうしで伽藍の大きさ豪華さを競い、禅僧も修行よりも他の世事に関わることが多くなっていました。これは、後の日本でも同じです。鎌倉時代末期から室町時代のかけて一世を風靡した「五山文化」なるものは、日本の禅宗界も同じ状況にあったことの象徴でした。今でも、その名残は決して払拭できていませんが。
 そんな中で道元禅師は、あるお寺で、前回の人とは別な典座と出会います。相当年のいったその老典座は、真昼の熱いさ中、日よけの傘もかぶらずに、食用の苔を干していました。この苔については、きのこの一種だとか、海藻だとか諸説あるようです。その辺の情景をネルケ無方さんの漢文の訳でご紹介しますと、
 「手には杖を持っているが、頭には傘がない。日も熱いし、石畳も熱い。汗を流してふらふらしながら、それでもがんばって干し物をしていた。しんどそうに見えた。背は弓のように曲がっており、眉は鶴のようだった」
というそうです。それを見た道元禅師はその老典座に話しかけます。以下、ネルケ無方さんの文章から、
「『典座さんは出家して何年になりますか』
『六十八年だ』
『どうしてお手伝いさんを呼ばないのですか』
『人のやったことは、自分のやったことにはならない(他は是れ吾にあらず)』
『典座さんの修業に対する、まじめな気持ちはわかりますが、どうしてその作業を一番熱い、このときにしなければならないのでしょうか』
『今やらなければ、いつやるというのだ(更に何(いず)れの時をか待たん)』」
というやりとりです。
 そこで道元禅師は、ハタと気づくのです。日々の生活そのものが修行であり、その中にこそ仏の法があるのだ、と。それを遠くに求め、果てや、当時途轍もなく遠くにある中国にまでそれを追い求めた自らの有り様。
 この中でネルケ無方さんは、「今やらなければ、いつやるというのだ」という部分に注目します。同じような言葉をキリスト教の中にもあることを紹介しています。
 イエス・キリストよりも約百年前に生まれたラビ・ヒレルというユダヤ教の律法学者の言葉です。ヒレルの主な言葉が二つあります。一つは、イエスも言われたと聖書に書かれてある「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな」という言葉。同じ内容の言葉が孔子の中にもあります。そしてもう一つ、ネルケさんの訳で、「自立しなければ、だれが私と立とうか。孤立してしまえば、私は何になるのか。今立たなければ、いつ立つのか」という言葉。
 ネルケさんの解説を借りますと、「今、あなたがあなた自身の人生を創造しなければ、だれも代わりにやってくれないのだ。あなたがする、今する。しかし、あなたが《あまた(著者注:頭)》にとらわれているあいだ、それができないのだ。あなたがあなた自身を手放したそのとき、初めてここで自立するのだ」
 この後半の部分は、ネルケさんの解説の独自の補足です。このことは禅では、いつでも、どこでも、何度でも言われることです。それほど禅では重要な、そして最優先の命題なのです。

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